すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

『レ・ミゼラブル』こんな時だからこそ、感動をありがとうです!

 

ずーーっと楽しみにしていたミュージカルレ・ミゼラブル観てきました。

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数年前から公演の度に何度か観ていますが、今回は吉原光夫さんのジャン・バルジャン濱田めぐみさんのフォンテーヌに絞ってチケット取りました。

吉原光夫さんは、NHK朝ドラ『エール』で音さんの実家の馬具職人頭の役と言えば「あ!」と思われる方もいらっしゃるのでは。

そうです。『エール』の最後、出演者による古関裕而氏の歌コンサートで、「イヨマンテの夜」を熱唱して世間を大いにざわつかせたその人です。

胸躍らせながら予想はしていましたが、まったくもって予想通りの、いえ予想を上回る?……いや、やっぱり予想通りの歌声(これ、めっちゃ絶賛してますから)。

こちらの心をガシッと掴み、これでもかと震わせてくれる。

精一杯拍手で感動を伝えながら、ありがとうございますと感謝の気持ちが湧き起こりました。

それから、ジャベール役の川口竜也さんも素晴らしかった。

末っ子が以前から彼の素晴らしさを語ってくれていましたが、初めての川口ジャベールは吉原ジャン・バルジャンにも劣らない圧巻の歌声でした。

 

吉原さんにしても川口さんにしても、あれだけの歌声を獲得し長年維持し続けるのには、どれだけの鍛錬と精神力が費やされていることだろうと考えると、ただただ尊敬です。

こんな怠け者の自分にも痛いくらい突き刺さり、それは幸せに満ちた痛みであり、希望を持ってこの先を進んで行こうと思える勇気ともなります。

コロナ禍において、舞台芸術は不要不急であると言われ多くの舞台が中止となりました。

感染が拡大し、人流を止める為には致し方無いことだったのかもしれません。

ですが、何度も言っていますが、芸術は不要ではない。こんな時こそ必要とさえ思います。

濱田めぐみさんが出演する回は少し先で、その時は吉原光夫さん、川口竜也さんも出演。なんてラッキーなことかと今から楽しみで仕方ありません。

 

…………… 

それはそれとして。

コロナ禍で観劇に出かける者として心しなければならないことは十分な感染対策です。

マスクは必須。飲み物を口に含む時以外は外しませんでした。ちなみに食事は禁止。

入場する際の手指消毒は当然のこと、その他にもこまめな消毒を意識しました。

トイレなどで並ぶ際には出来るだけ密にならないように。

それこそ不要不急な会話は控えるべきと、一緒に行った娘たちともほとんど喋らず、舞台上への熱い思いは拍手で伝えました。

終了後は退場制限に従い粛々と退場。コロナ禍以前なら観劇後、感想を述べあって感動を確かめ合うところですが、速やかに帰宅したのでした。

(こんなふうにいちいち説明して、こんな状況で観劇に出かけることの釈明をしているようですね^^;)

 

ただ、私たちがそうしたのは、もちろん自分自身が感染する、或いは感染させてしまうリスクを可能な限り排除する為でありますが、ここでクラスターを発生させコロナ禍での舞台の危険性をアピールさせることになってはならないとも考えるからです。

そうなったら再び中止の対象となってしまうかもしれません。

困難な環境の中で素晴らしい舞台芸術を私たちに見せ続けてくれる人たちの思いを潰すようなことがあってはならない。

おこがましい言い様ですが、舞台芸術を守りたいという思いもあり、観客の一人として責任を果たしたいと考えるのです。

大袈裟なこと言っているかもしれませんね。でも、正直な思いです。

 

…………… 

幸せな感動を受け取りつつ、実は、少し戸惑う思いもありました。

まず、劇場に入るなり通常と変わらないほどの人の多さにビックリ。今、入場制限ってどうなっているんだっけ?と。

そして、「会話はお控えください」とのアナウンスがされる中、会場内もロビーも賑やかな話し声が飛び交って。(皆さん、マスクはしておられますが)

楽しみにして来られたことでしょう。その気持ちは十分わかりますが…。

 

どうか舞台芸術が守られますように。

心から願ってやみません。

 (偉そうにたくさん言いました……m(__)m)

 

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怠け心とのせめぎ合い

 

今さら堂々と言うことでもないけど、自分って怠け者だわとつくづく思うわけです。

 

ストレスのかかることは出来ればしたくない。しなければいけないことを頭に留め、あれこれ考えるところからもうシンドイ。

何にも予定の無い日が一日おきには欲しい。そんな日はひたすらだらだらと過ごしたい。

家族がいれば食事の支度はするけど、自分だけならそこにある物をかじったり冷蔵庫の物をつまんだりで済ませたい。

好きで始めた趣味も朝起きた時はたいてい行くのが面倒くさくなる。休んじゃおうかと軽く葛藤する。

 

そんな自分を叱咤するわけです。歳を重ね、なおさら。

 

仕事もせず、子どもたちも巣立ち、夫とも半分別居生活となった今、ストレスが激減している暮らしの中で、たまに訪れるストレスを排除ばかりしては、頭を使うこともなくなってボケる。

ストレスから逃げ、我儘気ままを通用させてばかりいてはいずれ傲慢な考え方に陥りかねない。

食事の支度は手も頭も使うから何より手軽なボケ防止になるはず。

ヨガやウォーキングで筋力、体幹力、バランス感覚の低下を防いで、いつまでも自分の足で歩けるよう努めねば。

 

怠け心とのせめぎ合いが毎回脳内で繰り返されます。

まーー努力しとります。

自慢じゃないけど、本当に怠け者なので。

 

若い頃は自分の怠け癖や逃げ癖に関して正直開き直っていた。別にいいじゃんって。

周りに迷惑かけなければいいと、怠けて逃げて甘やかしていたかなぁ。

しんどければ一日中寝ていることもあったし。(あ、それは今もそう^^;)

ストレスかかりそうと察知するとすぐ逃げた。

ポーカーフェイスが得意だけど精神はひ弱で、実は体力も無いのですぐ疲れちゃうんですよねぇ。

そんなふうに情けない自分なのにまあ何とかやってこれた。

周囲に恵まれたか、運が良いのか。

(ただ、若い頃はどうしたって学校や職場など周囲と関わる場面も多く、否応無く心身への負荷も大きいでしょうから、しんどい時は休めばいいと、それは今も思います)

 

逆にね、これからはちょっと頑張ろうと思うのです。

歳を取ったらのんびりがそりゃ有難いけど、歳取ってからの怠け癖は心身の老化を助長する気がして。

周囲に迷惑かけたくないです。

出来る限りQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を維持し、自分自身も最後まで楽しく生きたいと思うので。

 

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残り少なくなった牛乳を買いに行くべきだけど、何とか買わずに済まないかしら。顔洗って日焼け止め塗って着替えて出かけるのが面倒くさい……………

実は今朝もそんな葛藤を繰り広げておりまして、ここらで一度しっかりと整理し自らに活を入れる為に本日の記事となりました。アハッ( ̄▽ ̄;)

 

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「地球の歩き方・東京」先ずは神田、神保町、お茶の水辺り

 

先日観たNHKの番組(再放送だったかな?)『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』

タイトルは「夢の海外旅行が実現した日」

新型コロナウイルスによって世界は海外を旅する自由を奪われた。しかし過去にも自由に海外を旅することができない時代があった。日本が海外旅行の自由化に踏み切ったのは、敗戦から19年後の1964年。その時、人々は海のかなたにどんな夢を見たのか?初の海外ツアーの参加客、初の海外ツアーを企画した仕掛け人、そして若き日の五木寛之が体験した人生を変える旅とは?自由な旅ができない今こそ考える、本当の旅の魅力とは?(NHK公式サイトより) 

ジャルパックの創成期、バックパッカーの登場、若き日の五木寛之氏の旅。

とても面白かった。

 

その中で取り上げられていた地球の歩き方。旅行ガイドブックである。

バックパッカーで世界を旅をしていた日本の若者が、ふと、同じように旅する他の国の人達が持っていたガイドブックに気がつく。

それまでのガイドブックは現地の観光スポットの紹介を中心に構成されているものがほとんど。

けれど彼らが持つそれは、バックパッカーなどの生の声が反映され、現地での移動方法、滞在場所など、個人で旅する「手段」を細やかにサポートする内容だったそうだ。

自分もこのようなガイドブックを作り、日本の若者たちに提供したい。

そうして1979年「地球の歩き方」が創刊される。

創刊時は「ヨーロッパ」編と「アメリカ」編の2冊。

現在は100タイトルを超えているそうだ。

2020年、シリーズ初の国内版として「東京」編が出版され話題となり、私は早速購入した。

 

住むのは埼玉県だが、大学生時代と社会人になっても通ったのは東京で(正確には大学は東京を通過し神奈川までだったが)、遊ぶのは都内が多かった。

一番自由な頃である。いろいろな所に行った。

特に用が無くても、お気に入りの場所に出かけてはその匂いや雰囲気を味わうのが好きだった。

今考えると元気だったなぁ。(そりゃそうか、若いんだし)

そんな「東京」だが、まだまだ知らない所がいっぱいあるわけで、改めて一つ一つ歩いてみたいと「地球の歩き方・東京」を手に入れたのだった。

しかし、時悪く新型コロナウィルス感染拡大のさなか。

あまりにも不要不急であるし、この本が教えてくれる楽し気な場所には未だ行けていない。

時折ページをめくってはホーホーと感心し、ワクワクと胸躍らせている。

 

話は戻るが、番組の中で五木寛之氏の著書「さらばモスクワ愚連隊」「青年は荒野をめざす」が取り上げられていた。

彼の代表作でもあるのでご存じの人は多いだろうが、残念ながら私は聞いたことがあるだけでどちらも読んでいない。

「さらばモスクワ愚連隊」は、まだ作家になる前の彼がモスクワを旅した時出会った少年を題材にしている。

旅の中での少年との出会いや様々な体験を書かずにいられなかったそうだ。

それが五木寛之氏の作家としてのデビューであるならば、彼にとってそれは人生を決定づける旅だったということになる。

その後書いた「青年は荒野をめざす」は、20歳になったばかりの若者のヨーロッパでの自分発見の旅を描いている。

今回、この歳であるけれど(つまり青年ではないけれど)読んでみたい、読んで何かを触発されたいと思ったが、図書館の棚には並んでいなく、ポチるしかないか。

 

旅が若者を成長させることは間違いないだろう。

出来れば少し苦労の多い、アクシデントに見舞われるものなら尚更。

自分の頭で考え、決定し、行動する。

他人に甘えることを学び、感謝を知り、他人を許すことを覚える。

コロナ禍ではそんな絶好の機会が失われがちであることが残念である。

 

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先ずは、学生時代の思い出の地、神田、神保町、お茶の水辺りを追体験したい(´▽`*)

 

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オリンピックを節操なく語ってみた

 

東京オリンピックパラリンピック

なし崩し的に開催の方向へ進んでいることをひしひしと感じる今日この頃。

いや、今や「着々と」と言った感じ?

少し前までは開催中止を訴える世論が大きく聴こえていたはずなのに、いつの間にか後ろに追いやられている気がしないでもありません。

 

いつだってそう。

国の決定に異を唱える声に真摯に向き合うような発言をしながら、実はまるで意に介さない(と思わずにいられない)政府。

河島英五さんが歌った「時代おくれ」の歌詞ではありませんが、目立たぬように、はしゃがぬように、国民を不用意に刺激しないことに注意を払い、じびじびと事を進める。

極力強引とは感じさせないように、しかし結局は国の決定を確実に実現させる。

しぶとく、ある意味辛抱強い(全然褒めてないけど)政治の進め方に、この国の国民性が反映されているようで苦笑いです。

今は開催ありきの中、既に観客をどうするかに論点が移っているようで、情勢の流れの速さに、何だかもうあれこれ言う気になりません。

そうなんです。いつだってそう。そうやって気持ちが萎えていくんですよね。

 

この国の人たち(自分も含めて)は国家と争う術を持たない。

よそのお国の様に、自分が当事者となり激しい暴動を起こしてまで変えようとはしない。

だから、そんな国民に政府は高をくくっているのかもしれません。

そうは言っても何も出来ないだろうと。

でも、実際そうなんですよね。

そして、そんな国民をなめた政治家を選んだのは自分たち。

まして、自ら行動を起こそうとしない以上、世の中の流れに巻かれていくしかないのだろうなと、情けなさと虚しさを嚙みしめる。

 

開催するのであるならばせめて無観客でと思います。

少し前までは国内でも無観客でという意見が多いようでしたが、それもどうなるでしょう。

国際オリンピック委員会は9日の理事会で、国内の観客の扱いを判断する時期について6月末ごろの予定と述べたそうです。

日本側は緊急事態宣言の期限となる20日以降に判断する見通しを示していますが、もし観客有りとするならば、県をまたいだ不要不急の外出は控えてと言われ、真面目に自粛してきた国民に、オリンピックは不要不急ではないことを明確に証明する必要があるでしょうね。

 

でもね、夫と笑い話で話したんですけど、

なんだかんだ言って、結局、オリンピック開会式で国立競技場で満面の笑みで拍手を送る観客の姿がテレビに映るんじゃないの

もうそうなったら国民みんなどんどん盛り上がっちゃって、結局オリンピックやれて良かったねなんて話になるんじゃないの

日本人ってそういうところ信念が無いって言うか、のんきって言うか

そういうとこ、政府にも見抜かれてるんだよね

それで、後でコロナの感染が広まったら広まったで、オリンピックを開催したのは間違いだった!とかって野党が追及したりして

でも時すでに遅しで、政府としてはやれたことでOK

あとはのらりくらりとかわすっていつものパターン

 

笑い話というか自虐話かな (╯-╰)

だから今どうするべきだという結論はないんですけどね。

 

 

実は、パラリンピック水泳のチケット当たっています。

私たち夫婦は「もし開催するなら無観客で」と考えるのですが、上限を決めるなどして観客を入れると決定されたらどうするか、正直すごく悩むでしょう。

はい。

節操のない日本人です ( ̄ー ̄;)

 

 

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納豆スパゲッティを食べて

 

今日の朝食は納豆スパゲッティだった。

昨夜、冷蔵庫の中身を食べ尽くして、あるのは納豆。野菜室には大根と胡瓜。それにツナ缶があるとなれば、我が家の食卓にはかなりの確率でそれが登場する。

 

ブログにも度々書いているが、夫は無類の納豆好き。

いかにも手抜きのメニューでも、そこに納豆を一品加えるとあっさり納得…どころか満足してくれるので、ズボラ妻はますますズボラになる。

納豆パック1個を各自パックのままかき混ぜてご飯の上に載せるのが通常だが、たまに別の器に割り入れた生卵をプラス。

「ええ!いいの?卵付き⁈」と喜ぶ夫。味付け海苔を添えたら「ご馳走だね!」と。

そこまでいくと(もしや嫌み?)と思わなくもない。

以前、「納豆」のお題で記事を書いていた。一時期流行った納豆ダイエット失敗談である。お時間とご興味があれば( ̄▽ ̄) 

komakusa22.hatenablog.com

 

離乳食に納豆ご飯を食べた娘たちも納豆好き。

納豆メニューで好評だったのが納豆スパゲッティだった。

茹で上がったスパゲッティを適量のバター(マーガリンでもOK)で軽く和え、大根おろし、納豆、ツナ、胡瓜、焼き海苔(細く切ったもの)をトッピング。

全体に醤油を回しかけ(かけ過ぎないよう注意)混ぜながら食べるという、何のひねりもないスタイルである。

味付けが醤油だけって、どうなの?と思われるかもしれないが、大根おろしが他の食材の旨味を絡め合わせるナイスな役割をして、少量の醤油のみでも十分な美味しさなのだ。

納豆のねばりが麺に絡みつく食感も納豆好きにはたまらない。(納豆が好きでない人には理解し難い感覚だろう)

 

 

ところで、我が家の納豆スパゲッティの発祥は友人が作ってくれた納豆の入らない和風スパゲッティだった。

会社の同期だった二つ年下の彼女。

結婚し専業主婦になった私たちはそれぞれの家を行き来し、お互いに覚えたばかりの手料理をふるまうなどして、新米主婦時代を共に過ごした。

学生時代家政科だった彼女は、レシピを考案しスーパーなどに提供する仕事をしていて、ある日、その一つの和風スパゲッティをご馳走してくれたのだ。

「簡単なんだよ」と笑いながら出してくれたそれは、大根おろしとツナをスパゲッティと和え、カイワレと焼き海苔をたっぷりトッピングした確かにシンプルなもの。

しかし、いくつかの調味料で味付けしたと思われる和風のソースが絶妙で、それが大根おろしに絡んで本当に美味しかった。

当時、スパゲッティに大根おろしという発想が全く無かった私だったが、これはイケると早速我が家でも作ってみたのだった。

 

その原型が姿を変えたのが我が家の納豆スパゲッティである。

納豆が加わったのは割と早い段階だった。

カイワレもいいが胡瓜の塩揉みはどう?となり、そのうち胡瓜の輪切りをそのままトッピングするようになった。

彼女のレシピは大根おろしとツナを初めからスパゲッティと混ぜ、手製の和風ソースで和えたもの。

多分私も最初はそうしていたと思うが、いつしか、茹でたスパゲッティの上に大根おろしを土台に他の食材をただ積み重ねそこに醤油を垂らすという調理法(と言えるかどうか)へと移行。

各々好きなように混ぜて好きなように味付け(醤油のみだが)してちょうだいと、母ちゃんは楽をする。

ただ、大根おろしは必須。どんなに面倒くさくても怠ってはいけない。

そうすれば文句なく美味しい。

納豆好きアルアルで、納豆好きな人間は納豆が入っていればどのような形になっても美味しいということかもしれないが。

 

 

そんなわけで、今朝、納豆スパゲッティを食べながらふと彼女のことが浮かんだ。

結婚し10年を過ぎた頃だろうか。義実家とのストレスで心身共に不調をきたし、ふさぎ込むように家から出られなくなってしまった彼女。

こちらからの訪問もやんわり断られて、それ以来会えていない。

私が家事、育児、仕事にと忙しく駆け回っていた頃、夕方の一番忙しい時間によく彼女から電話がかかってきた。

「忙しい時間にごめんね」とこちらを気遣いながらポツリポツリと話す彼女に、私は気忙しさが伝わるような対応をしていたかもしれない。

後に思えば、その頃から彼女の中ではギリギリの精神状態だったのだ。

そのことに気づかず、わかろうとせず、自分の忙しさばかりが大変だった私。

どうしてもっと親身に話を聞いてあげられなかったのかと今さら悔やんでも遅く、彼女の心の扉は固く閉じてしまい、開いてはくれない。

 

パッチリとした目の愛らしい人で、いつも周囲に気を遣っていた。

気を遣い過ぎるあまりストレスも多く、仕事終わりに飲みに行くと次から次へと愚痴がこぼれた。

私に心を許し内面をさらしてくれることが嬉しく、彼女のストレスを精一杯晴らしてあげたいと思ったものだ。

いたずらっ子の顔で小さな毒を吐きながら、心の底から晴れ晴れとしたように笑う彼女の笑顔が懐かしい。

今は少し哀しくも思えるそんな笑顔に、また会えたらと祈るばかりだ。

 

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