すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

ミョウガの味噌汁

 

昨日の夕食、お味噌汁の具には豆腐とミョウガを入れました。

ミョウガを刻む時、いつも思い出すひとがいます。

30年以上も前のこと。
彼女は長野県から上京してきて、同じ大学の同級生でした。
女子が極端に少ない学部で、私たちは心細さを埋めるようにすぐ仲良くなりました。
私と真逆で小柄で華奢、当時流行った丸い眼鏡をかけて、ジーンズにスニーカー。
素朴な可愛らしさはまるで陸奥A子さんの描く少女漫画の主人公のようで。
穏やかで控え目だけれど、ニコニコ笑顔の彼女の回りはいつも温かい空気に包まれていました。
弟さんが二人いる長女だったからか、他人の世話を焼くしっかり者のところもあり、
私はどんなに世話をかけたことでしょう。
何より心優しいひとでした。

いつかの夏休み、彼女に誘われて
彼女のお父様の単身赴任先である長野県木曽福島に遊びに行ったことがありました。
一週間の滞在期間中、彼女は木曽の御嶽山や美ヶ原高原へと連れて行ってくれました。
中仙道を妻籠から馬籠まで歩いたりもしました。
ワンダーフォーゲル部だった彼女が華奢な体ですいすいと歩いていく後ろを、
大きな図体の私がひょこひょこと必死について行く。
信州の美しい風景や体中をすっかり浄化してくれる澄んだ空気と風に何度も感動したこと、
今でも瑞々しく蘇ります。
そんな滞在中、やはり一日中出かけて歩き疲れての帰り道、
オレンジ色の夕暮れの中、彼女はふと足を止め、
道端の小さな店先に無造作に並べられている露地もののミョウガを買いました。
「それは何?」と尋ねると、「え?ミョウガだよ」と少し不思議そうな顔で教えてくれた彼女。
私の母の料理には、おそらくそれが登場したことが無かったのです。
その夜、彼女はお味噌汁にして食べさせてくれました。
ミョウガをザクザクと切って小鍋に入れ、その上から味噌の固まりと水を投入して火にかけるという、
彼女らしからぬ少々乱暴な作り方だと内心思ったのですが、
出来上がったものは初めて体験する得も言われぬ味わいで、本当に美味しかった。
9月も中旬過ぎての信州は夜になるともはや肌寒く、
熱々のミョウガのお味噌汁は体を暖め、心の中まで温めてくれました。
無口なお父様と、穏やかな彼女と、人見知りの私の食卓はいつもしんと落ち着いていて、
けれど、私にとってそれは気まずいものではなく、何だかほんのりとアタタカだった。
きっと、彼女や彼女のお父様のお人柄を映していたのだと思います。

ひとり暮らしの彼女の下宿に遊びに行くと、よくスパゲッティ・ナポリタンを作ってくれました。
夜中、枕元をこそこそ歩くゴキブリをスリッパでやっつけてくれたこともありました。
あれは電光石火の早業だった。初めて彼女の逞しさを知った夜でした。
それから、
いつのまにか赤い毛糸の5本指手袋を編んでくれていて、
なんでもないかのように「はい」と手渡してくれて。
私はひどく感激して泣いてしまったのでした。

どうしてでしょう。。
本当に優しいひとだった。。

・・・・・

今、彼女は長野で暮らしています。
年下の旦那様と二人の息子さん。
きっといい奥さんで優しいお母さんなのだろうなあと、それはもう目に見えるのです。

ミョウガを刻むと
その美味しさを教えてくれたひとのこと、それからいろいろなこと、思い出します。