すっとんきょうでゴメンナサイ

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仕事の能力


ブログでお付き合いいただいているある方は『うちだせんせい』という書庫をお持ちです。
“うちだせんせい”こと

内田樹(うちだたつる)
著作家、武道家神戸女学院大学名誉教授。1950年東京都生まれ。
 専門はフランス現代思想、映画論、武道論。

少し前、その内田先生が『仕事』についてのお考えをとある紙面で述べられていました。

のっけから少々ショッキングなタイトル 「適職」は幻想である

内田先生は、
「自分の適性に合った仕事に就くべきだと当たり前のように言われているが、
適職などというものが本当にあるのか懐疑的だ」とおっしゃいます。
それは就職情報企業が作り出した概念だと。
今の日本の大学では2年生から就活指導が始まり、最初に適性検査を受けさせられるそうですが、
これがいったい何の役に立つのか全く分からない。
実際、適職の1位がキャビンアテンダント、2位は犬のトリマーと出た学生が
一体何になればいいのかと困惑した、といったことがあったそうです。


仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだと僕は考えています。
「天職」のことを英語では「コーリング」とか「ヴォケーション」と言いますが、どちらも原義は「呼ばれること」です。
僕たちは、自分にどんな適性や潜在能力があるかを知らない。
でも、「この仕事をやってください」と頼まれることがある。
あなたが頼まれた仕事があなたを呼んでいる仕事なのだ、そういうふうに考えるように学生には教えてきました。
仕事の能力については自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確です。
頼まれたということは外部から「できる」と判断されたということであり、その判断の方が自己評価よりも当てになる。


「適職」なるものが本当にあるのか、はたまた幻想であるのか
あるような気がするし、いや結局のところ何をしても多少のズレはある気もするし
しかし、いずれにしても適性検査で1位2位と見つけ出せるものではないでしょう。

そんな中、
「仕事の能力については自己評価よりも外部評価の方がだいたい正確」
これは大いに納得するところです。
納得する状況が周りにもちょくちょくあります。

ある友人は非常に機転が利いて気配りも絶妙、コミュニケーション能力も優れているので
自ずと人の中心にいて周りから頼られ、それを上手に仕切ることの出来る人なのですが、
その能力が求められて頼まれた仕事を「そんなこと絶対無理」と固辞しました。
周囲は「いやいや絶対出来る!いつもあなたがやってることだよ」と口を揃えたのですが
彼女にはそのような仕事で能力を発揮している自分が想像出来なかったようです。
とてもとても意外でした。

また、自分自身のことですが。
根っからの体育会系でもあり落ち着きがないものですから、
地道なデスクワークなどは苦手、性に合わないと若い頃から思っていました。
どちらかと言えば体を動かす活動的な仕事が向いている気がしていました。
ところが、よくよく考えてみると、
いろいろな仕事をしてきて、自分がまあまあ他から評価されたと思えるのは “事務” の仕事。
つまり、毎日毎月特に大きな変化もなく繰り返される地道なデスクワークを間違いなく繰り返すこと。
そして自分自身も、その大変さをあまり感じずにこなしていけているみたい、と気づいたのです。
逆に、体を使ってガンガン仕事をすることは何だか下手くそで、スピードは遅く、結果は不細工。
人以上に頑張っても他の人のようになかなか出来ず、なのに疲れるのだけは人一倍なのです。
自分が思っている得意分野や能力は実際とはどうやら違うな、とようやく気がついたのでした。

頼まれたということは外部から「できる」と判断されたこと

なるほど・・

例えばそのような状況になったとき
これからはそのこともちょっと思い出して
己の可能性や適性を探ってみようかな

娘たちにも話してやろうと思いました。

―― つづく