すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

ナナメの関係


「どんな人にも可能性はある。
引き出してくれるのは、親や先生でも友だちでもないナナメの関係の大人
押しつけがましくなく、でも率直にものを言ってくれる。
そんなつながりを生み出す場をつくることを自分の仕事にしたい。」

NPOカタリバ代表理事 今村久美さん(32歳)の言葉です。

創発」という言葉が好き。
異なった背景を持つ人が出会い、触発し合うことでひらめきが生まれる。
高校生に、身近な大人である大学生との語らいを通じて、自己肯定感を回復するきっかけをつかんでもらう「カタリバ」もそこから生まれ、
大学4年の時に「NPOカタリバ」を創設。

東日本大震災の発生時に0歳だった赤ん坊が20歳になるまで支援する「ハタチ基金」を提唱し、
自ら避難所で被災者と生活をともに。
その中で、
「哀れむのはやめてほしい」と言った年配の女性、
両親を津波にさらわれ、連日身元不明遺体の確認に立ち会いながらも、幼い子どもたちと遊ぶボランティアを続ける少女と出会い、
彼らを支えるのは自尊心であり、自分が誰かの役に立っているという実感だと知り、支援の形が見えた。

今彼女は、自身のNPO教育委員会や学校、地域の大人、寄付者の協働(コラボレーション)で、
被災地の子どもたちの学習を支援しようと、宮城県女川町、岩手県大槌町に学校、コラボスクールを開く。

「震災で多くのものを失ってしまったとしても、新しいだれかとかかわり、人との関係性を取り戻すことができれば、子どもたちは前に向かって一歩を踏み出していける」


ナナメの関係という言葉にビビッときました。
親でも先生でも友だちでもない大人、ちょっと年上の先輩
そんな人たちとの関わりが子どもたちの可能性を引き出し、背中をふっと押してくれる。
本当にその通りだと思う。

それと共に、
自分たち大人は、より長く生きてきた者として
子どもたちが前に向かって踏み出していけるように、その背中を押してあげられるように
子どもたちに何かを伝えることの出来る、
それは言葉でも、言葉でなくても、
そういう大人にならなくてはいけない。
そのことも強く思いました。

・・・・・

ちょっと逸れます。
大分、過激です。しかし、自分自身の愚かさを振り返って。

親はある時から、我が子にあれやこれやと口を出し世話を焼くのは控えるべきと、
親自身が肝に命じなければいけない。
そう思っていてもついつい口を出し、我が子にまとわりついてしまうもの。
いっそナナメの関係の世界へひとりで出してあげる。
親は我が子の姿を決して見ようとしない。
求められない限り、一切の口出しをしない。
それぐらいの覚悟が時に必要では、と思います。

親が我が子に伝えること、教えること
親こそが我が子に伝えられること、教えられること
たくさんたくさんあると思います。
我が子が生まれてから、それらのことを心を尽くして十分にできたのなら、
ある時からは我が子を信じて、ただひたすら見守る。
結果、それが我が子の成長を促し、我が子のためになる。
未熟で失敗ばかりの“親実体験”で、自分なりに学んだことです。
我が子が困難や悔しさ、悲しみに出会った時に、
求められるより先に、親が助け舟を出したり気持ちをなだめたり励ましたりするのも、
少し待ってみてはと思います。
我が子が親以外の、自分を助け慰め励ましてくれるものと出会う機会を、
他ならぬ親が奪ってしまうことがあってはもったいない気がするのです。
それは、ナナメの関係の大人かもしれないし、ケンカ相手かもしれないし、本の中の一節かもしれない。
そこで親ではない他人の情けを知り、他人を許すことを知り、他人の価値観を知る。
このことは、自分が子どもだった時のことを振り返っても、そう思うのです。

我が子の“ある時”がいつなのか、それは一概には言えないのでしょうが、
でも、そういう時が我が子にも必ず来ることを親はきちんと受け止めて
少し前から心の整理をしておかなければ、なのでしょうね。

・・・・・

偉そうなことを書きました。
それでいて結局、何を言いたいのかわからなくなりました。
読んでいただいた方はもっとそうですね (><)
いろいろとスミマセン。。

でも、とにかく
ナナメの関係、いいですね。

ナナメの関係が有意義に発揮される社会であることも大切ですね。