すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

自由になると淋しいのかい


11月になって、一言メッセージの 拓郎song を新しくしました。

昔から大好きな歌・・
拓郎の歌の中で一番好きかもしれない。


「どうしてこんなに悲しいんだろう」


悲しいだろう みんな同じさ
同じ夜をむかえてる
風の中を一人歩けば
枯葉が肩でささやくヨ

どうしてだろう このむなしさは
誰かに逢えばしずまるかい
こうして空を見あげていると
生きてることさえむなしいヨ

これが自由というものかしら
自由になると 淋しいのかい
やっと一人になれたからって
涙が出たんじゃ困るのサ
やっぱり僕は人にもまれて
皆の中で生きるのサ

人の心は暖かいのサ
明日はもう一度 ふれたいな
一人ごとです 気にとめないで
ときにはこんなに思うけど
明日になるといつもの様に
心を閉ざしている僕サ




自由になると 淋しい・・・



若い頃、その歌詞を聴いてハッとしたものでした。
自由とは楽しいことばかりと思っていましたから。
自分にそんなことを言った大人は拓郎が初めてでした。

本当の自由を手にすることは
なにものにも束縛されないということは
逆に
なにものにも倚りかからず
たったひとりでもすくっと立っていられなければいけない ということ

自分の心が本当に自由であるためには
淋しさも時に併せ持たなければいけないのだと

当時、そんなことを考えた覚えがあります。

まあ、そんなに大げさに “自由” を考えることもなかったのかもしれません。
何しろ “自由” なのですからもっと自由に~。
拓郎もそこまで深刻に歌っていたかどうか・・・、ですし(笑)


尾崎豊さんの歌ではありませんが、
自分が自分であるために、とか
自分が自分自身から解き放たれて自由でいるためには、とか
他ならぬ己が己を縛り付け苦しめることに抗うように
模索していた時代でした。


・・・・・


朝一番の(?)  お月さま                              ( 6:33 )

 

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