すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

僕が僕であるために

 
昨日、今日と強い風が吹いています。
昨日などは洗濯物が飛んでいってしまいました。
あまりにも乱暴な風が吹くのでアルバイトにいく末っ子を車で送ってやりました。
いつもなら自転車で、大した距離でもないのですが
強風にあおられて転びはしないか落下物に頭を直撃されないか、と
成人した娘をいつまでも幼子のように心配する過保護な親です
 
 
 
車の中では尾崎豊さんの歌が流れていました。
「オザキって綺麗な声してるね」と娘。
蒼く透き通る彼の声は薄く壊れやすいガラスのようにも思えます。
激しく叫ぶ度に砕けて、その破片で自分の心をも傷つけ赤い血を流している
そうして歌い続けている、それでも歌い続けている
そう感じることがあります。
今まで何度も聴いていて、何気なく通り過ぎていたのだけど
多分今までは「うん、そうだな」と思っていたのかもしれないのだけど
僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない」というフレーズに
うーん、それはなかなかしんどいなと今日ふと思いました。
 
僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に 歌い続けてる
 
自分が自分らしくあるために
何かと闘い、勝ち続けなければならないのは本当にしんどいなあと思うのです。
その何かは自分自身でもあったりするのでしょうか。
それもまた厄介・・・。
 
自分が自分らしくあるのは
本当はもっと自然で
なにものにも阻害されないはずなのでしょうに。
けれど、自分らしくありのままにいられないで苦しむ人が
逆に自分らしくいることで辛い思いをする人が
今の社会には多いと感じます。
 
この歌を歌った彼の心底の思いを計り知ることは出来ませんが
生き辛さを抱えた彼の身を切るような叫びが痛々しくて
車の中で聴き終えながら「時には負けたっていいんじゃない・・?」と言ってあげたくなりました。
無責任な言い様で、何の意味も持たないのはよくわかっていますが。
それと同時に
親元を離れて働く上の娘たちが思い浮かび
自分らしくあるために頑張りすぎて無理をしていなければよいのだけど、と少し心配になりました。
自分らしく生きていくことを言い続けてきてしまいましたから。
時には自分を甘やかしてズルして自分らしくない自分に逃げたっていいと
今はそんなふうにも思ったりします。
 
言っていること逆ですね。
年をとったせいかもしれません。
 
 
 
今も強い風が吹き荒れています。
ただ昨日は南からの風で暖かさを帯びていたし
我が家の近くの梅の木も白い花をほころばせています。
そろそろ春かな