すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

いろいろある

 
老眼、かすみ目、鳥目のトリプルパンチの近ごろはホントーに目が見えなくなっている。
 
困るのは台所仕事。
包丁を当てる先がぼやけて、ジャガイモの芽を取り除くのに手間取るようになった。
袋に記されている麺類の茹で時間や冷凍食品の解凍時間がすこぶる読み取りにくい。
先日は、うっかり指先をやけどした際に
目で見て赤くなっている部分にピンポイントで流水を当て冷やしているつもりが
それはやけど箇所から少しずれた虫刺され痕の赤いポッチだった、ということもあった。
まあこれに関しては、視力の低下だけが原因とは言えない気もする。
 
当然、老眼鏡無しでは何も進まないと言っても過言ではなく
けれど、その老眼鏡のかけたりはずしたりがもう嫌になるほどウットーしく
家族に「ちょっと見て」と言われても
「ちょっと待って」とまず眼鏡を探しに行かなければならないのがホントーに面倒くさい。
 
 
 
生まれた時から左目はほとんど見えない状態で、右目も近視のため眼鏡が必要不可欠というニュースを見た。
台所に立ちぼんやりとした視界で料理を作りながら彼のことを思う。
ああ・・きっと不便なこともあっただろうなぁ
彼の色気を増幅させるあのお洒落な眼鏡も、彼にとってはただただ欠くことのできない体の一部だったのだなぁ
そして
 
外からは見えなくても人にはいろいろあるのだとつくづく思う。
 
・・・・・
 
そう、
誰もかれも何かしらある。
 
たとえば障がいと名のつくもの
たとえば病気と名のつくもの
 
たとえば家族のこと
たとえば仕事のこと
 
見えないものや見えるもの
 
 
実は自分にも生まれつき障がいがあって
若い頃は自分だけのように思えて辛くもあったが
この歳になると周りは何かしらある人間ばかりである。
障がいを持ったり
病にかかったり
家族のことや
仕事のこと
まあいろいろある。
 
それでも皆、前を向いて生きているということに
時々、こちらの勝手な思いとして
ひとり感動させられるのだ。
 
生まれつきの障がいに甘んじて
弱虫で独りよがりな自分が恥ずかしくさえあり
励まされ負けちゃいられないと思える。
 
人にはいろいろある。
きっと等しくどんな人にもある。
 
それが何かは大して重大ではないのかもしれない。
それをどう乗り越えていくかが
その人の、人としての分かれ道なのだろうと思う。
 
惑わされず
本当の自分を見失わず、だ。