すっとんきょうでゴメンナサイ

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『風立ちぬ』 その後


実は、ジブリ映画『風立ちぬ』を観た日、
帰宅して新聞を広げると、
偶然にも宮崎駿氏とこの映画について書かれたものを目にすることになる。

朝日新聞 「記者有論」   オピニオン編集部 太田啓之氏

ある記者の見解であり、
それが客観的事実に基づくものであるとは言え、個人的な意見、思いとも言えるが、
納得し共感した部分が大いにあるので
書き留めておこうと思う。


宮崎駿の言葉 戦争の矛盾と格闘 のタイトルである。

宮崎駿監督の言葉と作品が韓国で波紋を呼んでいる。
7月中旬、スタジオジブリの雑誌に掲載されたインタビュー中の「憲法を変えるなどもってのほか」「慰安婦問題も謝罪するべきだ」などの発言が韓国の新聞で紹介され、好意的に迎えられた。
一方、映画「風立ちぬ」の予告で、主人公が零戦の設計者・堀越二郎だと分かると、今度は「なぜ、特攻で使われた兵器の開発者を描くのか」「失望した」などの声がネットにあふれた。
7月26日にあった韓国メディア向けの記者会見でも、この件に関する質疑が目立った。私もその場にいたが、記者たちの疑問はあまり解消されなかったようだ。
それは、宮崎駿という人間の中に「反戦思想」と「戦闘機の設計者への共感」が同居することへの戸惑いであり、少なからぬ日本人も同じ思いだろう。

実は堀越二郎は戦争中、無謀な要求をする軍部と戦い続けた。
軍に対し「零戦の後継機は限度を超えて無理な設計を強要され、失敗した」と直言している。
決して軍部と結託した人ではなかった。
劇中でもこうした経緯に触れていれば、これほどの疑問や反発はなかったかもしれない。
だが、監督は会見で、戦争中の堀越二郎について「描く必要もない」と言い切った。
二郎と軍部の対立を描いても姑息な言い訳にしかならない。批判は甘んじて受ける――。
そんな覚悟を感じた。

戦争、兵器への監督の関心や知識量は膨大だ。「軍事一般は人間の暗部から来るもの」 と断言する。
戦争について調べ、考え抜いているからこそ、先の日本の戦争の愚かさを一点の曇りもなく確信できる。
と同時に、戦争という狂気の中で正気と勇気を保ち誠実に生きた、堀越二郎のような人々がいたことも監督にとって揺るぎない事実だ。

監督の内面では人間への希望と絶望が激しくせめぎ合っている。
希望の根拠である堀越二郎を肯定せずには、生きることを始められない、とさえ感じているのではないか。
監督が戦争の愚かさを訴えつつも、兵器設計者の気高さを描くのは、戦争が必然的にはらむ混沌や矛盾から目をそらさず、格闘している証しだ。


先の戦争やそれに関わった人々についての肯定・否定の論が世に氾濫しているが、その多くは自分の見たい現実だけに基づいており、粗雑で底が浅い。
それよりも私は、戦争の現実に根ざすがゆえに一見矛盾した、宮崎駿の重い言葉に説得力を感じるのだ。