すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

友達くらいがいい


先日、ある所でちょっと懐かしい歌を聴きました。

中村中(なかむらあたる)さんの 「友達の詩」

手を繋ぐくらいでいい
並んで歩くくらいでいい
それすら危ういから
大切な人は友達くらいでいい

好きで、大切な人だからこそ
失うことが怖くて
いつまでも側にいたいから
友達くらいでいい

心が痛くて仕方ないから
友達くらいが丁度いい

そんな恋の歌。(・・のはず)
初めて聴いた時、わかるなぁ・・と心の中で思ったものです。





コラムニストで評論家でもあられた青木雨彦さんがこんなことを書かれています。

タイトルは『虚実皮膜の間柄』

女のひとから「お友達になりたい」と言われるのは、果たして名誉なんだろうか?不名誉なんだろうか?
ハムレットじゃないけれどそれがモンダイだ。
女のひとから「お友達でいたい」と言われるのは、これはもう、不名誉なことにキマッテル。
女のひとが男に向かって「お友達でいたい」と言うときは、その前に男が女のひとに向かって
「愛してる」とかナンとか、バカなことを言ったにちがいないからだ。
それで、女のひとは「お友達のままでいたい」と言う。要するにテイのいい拒絶なのである。
その証拠に「お友達でいたい」と言われた男が
「その後も彼女と“お友達”であった」という話なんぞ聞いたことがない。
たいがいはなんとなく気まずくなって、いつのまにか離れてしまう。
正直な話、それがコワいもんだから、メッタなことでは「愛してる」と言ったことがない。
そういうバカなことを口走って「お友達でいたい」と言われるよりは、
なんにも言わずに“お友達”でいたほうが、人生どんなに平穏で、しかもスリルに富んでいることか。

このあいだも、小説家の田辺聖子さんに
「いちばんいい友達は恋人にしないでとっておくことね」と言われて
「そうだ、その通りだ」と、心の中で叫んでいたものだ。
田辺さんに言わせると
「うっかり“愛してる”なんて言うと、いっぺんに友人と恋人を失ってしまう」ということだけれど、
これはまた、ありがたいお言葉ではないか。
つまり、男にとって女友達とは、それは、女にとっての男友達も同じだろうが、
「ときに恋人になりうるかも知れない」という虚実皮膜のところでつきあう人間同志でなければおもしろくない。
それこそ、ふたりはひょっとして男と女の仲になってもおかしくないが、
辛うじてその寸前で踏みとどまっているような、そんな関係なのである。

さて、そういうことなら、わたしのまわりは女友達で一杯だ。
わたしの場合は、おおむね、このわたしが一方的に
「それこそ、ふたりは、ひょっとして男と女の仲になってもおかしくない」と思っているだけだろうが、
それでも、その寸前で踏みとどまっていることは事実なのである。
それに、田辺さんの嬉しいところは「いちばんいい友達は・・・」とおっしゃっていることだ。
ホント、田辺さんの言葉にしたがえば、かりにわたしが貴女と男と女の仲ではないのは、
貴女にとってわたしが“いちばんいい友達”であるからかもわからないではないか。

そんなわけで、わたしは「男と女の間にも、友情はある」と固く信じている者である。

(後略)


この文章を、何故かノートに書き記してあり。
それは昭和57年3月7日日曜日のことのようで。

ちょっと思い起こしてみると、
学生時代からの腐れ縁のように友達であった夫と、次の段階へ行くべきか行かざるべきか・・、
お互い探り合いながら悶々としていた頃でしたっけ、
同性の友達同志のように気が置けない仲だったから、
ヘタなことを言い出してこれっきり会えなくなるのも嫌だと考えたりしたのでした。

きっと、その時
青木さんのこの文章を何度も何度も頷きながら読み、そしてノートに書き写したのだろうと思います。




結局、何を言おうとしているのか自分でもわからなくなりました。
まあでも、
つまり、こうだ! と言いたいわけではないので (⌒-⌒; )

「いちばんいい友達は恋人にしないでとっておくことね」

時を経て、今再びその言葉に触れて、
夫と友達のままだったらどうなっていたのかなと、ほんの少しだけ考えたのでした (*´д`*)

 



台風が通り過ぎた後の、昨日の夕焼け空です。
 
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富士山が久しぶりに見えました
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