すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

人生80年

 
現在大学3年の末娘の就職活動がいよいよ始まることとなり
近ごろその手の話題が多くなった。
 
何が自分に向いているんだろうと悩ましげに言う裏には
出来れば働きたくな~いという本心が透けて見える。
いや、透けてどころか、堂々と?軽々と?声に出してしまっている。
自分がその頃には、学生が終われば社会人として働き、親から自立するもの、
といった意識が無意識にあったから
そしてまた、自分だけでなく周りの皆がそうであったから
たとえ働きたくないと心で思ったとしても
それは選択肢の一つには到底なり得なかった。
 
しかし今、
働かない若者、働けない若者がいて
あまりに多いその数に驚きながらも
今の社会の過酷さも思わずにはいられない。
自分が育ち、成人し、働いていた時代の社会は
それと比べて、溌剌と明るく且つ穏やかで安定したものだったと思う。
だから、
今の若者の苦労に同情するところでもある。
 
自他共に認める怠け者の末娘が
出来れば働きたくないのは全くの本気であるから
そんなつぶやきに下手に過剰反応してかえって刺激を与えてはいけないと
親としては聞こえぬふりの対応でやり過ごす。
「でもさ、働かないわけにいかないっていうのはわかってるよ」と娘。
ニートでいて、家の中で親からの圧迫に耐えることのほうがシンドイ!、そうで。
うんうん、自分の親のことよくわかってる。
 
自分に向いている仕事を探すのももちろん大切かもしれないけど
自分が好きなこと、やりたいことを仕事に出来たらラッキーだよね
お金持ちになれなくたって、自分が生きていけるだけの稼ぎでもいいじゃない
生きていくだけのお金は他で稼いで、好きなこと続けていくっていうのもいいね
 
そんなことを娘と話した。
厳しい現実の、しかし本当の厳しさを知らず
まだまだのんきでいられているのかもしれないと
不安が胸を過ぎりながら、ではある。
 
 
 
ところで、少し前に新聞でどなたかがおっしゃっていた言葉。
 
人生50年などと言われていた昔は
確かに20歳の成人を迎えれば(さらに前は元服を迎えれば、かな)
先々の人生設計がおおよそなされていることが必要であったかもしれない
しかし現在は80年、90年と人が生きる時代であり
ハタチそこそこの若者が人生を決めてしまうことはないのである
40歳50歳くらいでなんとなく自分の将来が見定めればおんの字
それまではあれやこれやといろんなことに挑戦し試してみればいいのだ
 
とまあ、そんなようなことを。
確かに一理有り~、と思った。
 
不安定、不確かなまま、あれこれと飛び込んでいくことは正直怖い。
だから早く何か安定した確かなものを欲しいと願うのだが
そもそもこの時代は混迷を極めていて
20歳過ぎた頃に決めたことが間違いなくずっと続くという保証はないわけで。
そんなものは無いと最初から腹をくくっていれば
多少の失敗、破綻も「仕方ない」と考えることができるというものではないか。
そして、「次へ」と開き直る。
そうだ。
気がつけば、人間の寿命は延びているのだ。
失敗を恐れず20代30代は躍動していいのだ。
 
20代30代を振り返ることの出来る50代の今の自分だから言えることなのかな。
いや、能天気だからか・・。
でも、
すとんと胸に落ちて、何だかサバサバとした気持ちにさせられたのだった。
 
新聞のその言葉を娘にも話してみた。
 
この決断が最後!みたいに思い詰めなくてもいいんじゃない
まずはやってみたいこと、出来そうなことにチャレンジだよ
人生80年、まだまだ先は長くたっぷりあるんだからさ
 
なるほどね、と頷く娘に
しかし、釘を刺すことは忘れない。
 
まあでも、
卒業したら年金保険料と健康保険料は自分で払えるようにはなってね
 
あくまでも、そこはシビアな親なのだ。