すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

青い空の真下で

 
新しい年の初めに観た
「みんなの夢まもるため」~やなせたかしアンパンマン人生”~
 
なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ
 
今を生きることで
熱いこころ 燃える
だから君はいくんだ ほほえんで
 
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい君は
いけ みんなの夢まもるため
 
 
 
アンパンマンは娘たちが大好きだった心優しきヒーロー。
未熟な母であった私もただただ気忙しい家事、育児の合い間に
娘たちの背中越しにアンパンマンを観ながら、心がホッと穏やかに癒された。
主題歌である「アンパンマンのマーチ」も何度歌ったことだろう。
明るいメロディ、弾むリズム、力強い歌詞にいつも気がつけば励まされ勇気づけられた気がする。
 
しかし、
そんな楽しく夢いっぱいのお話を届け続けてくれて昨年94歳で亡くなったやなせたかしさんの人生は
愛する身内との度重なる別れ、そして過酷な戦争体験など苦難の連続であられた。
特に戦争体験で受けた衝撃はやなせさんの心から消えることはなく
自分は何故生き残ったのか
人間はなんのために生きるのか
人は何故戦争するのか
常にそんな思いを抱えながら仕事に向き合われていたと言う。
 
正義の戦争だと信じていたやなせさんは敗戦で大きく考えが変わる。
戦場での強烈な飢えの記憶から本当の正義とは何か?
もし正義であるなら真っ先に空腹の人を救うべきだということを痛感してアンパンマン」が生まれる。
アンパンマンは元々は大人に向けて書かれた話だったが自らを犠牲にして人を助けるヒーローは全く注目されなかった。
その後少し姿を変えながら、書き始めて20年、
やなせさん69歳の時に小さい子どもたちがアンパンマンの魅力に気づくことになる。
たとえ弱くても誰かのために戦う心優しいヒーローである。
 
アンパンマンはスーパーマンのようなヒーローではありません
みんなに顔をちぎって食べさせてあげると自分の力はパワーダウンしてヘナヘナとなってしまう
非常にボロボロになって格好悪さを見せるヒーローであります
やなせさんはそう言われたそうだ。
 
 
絶望の隣りには希望がそっと座っている
一寸先は闇でも その一寸先には光がある
 
生前、度々口にされたというやなせさんの言葉である。
アンパンマンを通して伝えたかったのは「希望」でもあるのだろうか。
 
番組の最初、
絶望せずに まず一歩進むこと
ぼくはまだまだ希望はあると思う
それを信じないと生きていかれない
と、やなせさんご自身が少し激しい口調でおっしゃられている。
「希望」を明るく語るやなせさんであったが
苦難の人生の中で、まさにやなせさんにとってこそ「希望」を信じることが支えだったのではないかと胸に強く響いた。
 
 
東日本大震災の時、「アンパンマンのマーチ」が被災地の方々を勇気づけ
また、92歳のやなせさんご自身も被災地への支援を多くなさった。
いくつもの病と向き合いながら最後まで命を削るようにアンパンマンを書き続けられたやなせたかしさん。
 
「たとえ傷つき心で泣いていても、まわりに笑顔を届けつづけたやなせ先生。
94年間お疲れ様でした。あなたこそがアンパンマンです」
同じ漫画家の里中満智子さんが送られた言葉である。
 
 
何のために生まれて
何をして生きるのか
アンパンマンのマーチは明るく高らかに歌うけれどこうして文字にするとナント哲学的。
その“何”何なのか
正直、自分には未だ掴むことの出来ないややこしいモンダイである。
 
けれど、
今生きている、そのことの素晴らしさ
今生きている、そのことの喜び
生きてるって素敵だよと
ただそのことを
やなせたかしさんは伝えてくれているのかな。
 
 
 
新しい年に向けてまた一歩一歩、一日一日を送っていこう。
今日は強い風が吹いたが
真っ青な空が頭の上に広がっていた。
そう、まぶしいほどの。
 
ふと頭の中にブルーハーツの「青空」が聴こえてきて
この青い空の真下で頑張っていこうと思った。