すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

味わうために生きている


ドリアン助川
さんという人がいる。

硬い刺で全身を覆い、果肉は強烈な臭いを放つドリアン
あまりにも個性的なその果物が頭に付いた名前、
加えて、彼自身のパワフルな風貌も非常に印象的なのであるが、
実は彼のことはあまり知らない。

しかしながら、
偶然に彼の言葉を耳にし目にしたその時々に、
ふっと肩の力が抜けたこと、
何度もあったように思う。
そうか、それでいいんだと勇気づけられたことも。
なんだか不思議なのだけど、
自分の心の一番敏感で弱虫なところにふっと温かく沁みる言葉をかけてくれる、
そう感じる人なのである。

ドリアン助川さん。
作家、詩人、道化師、ミュージシャン。
1962年 東京都生まれの神戸育ち とWikipediaにある。

最近、彼のコラムが紙面で見られるようになり、
毎週楽しみにしている。

先週の土曜日は

『 クリームパン “あんがないのも人生さ” 』 というタイトルで
お祖母さまと分け合ったクリームパンの思い出に触れている。

“若かった両親が経済的困難にコブラツイストかましたり、かまされたりしている最中だった”幼い頃、
お祖母さまとよく旅をした助川少年。
北海道の親戚の家の前の磯で、自ら採ったウニで作ったウニ丼、
岩手の酢漬け食用菊、群馬の干し芋、そして各地の駅弁の味わいとともに、
こうした記憶が自分の底を作っている、と先ず書かれていて。


 さて、クリームパン。昭和40年代半ばのことだから、今ほど多種類の菓子パンはなかった。祖母がうれしそうな顔で買ってくるのは、たいていクリームパンかジャムパンだった。
 兵庫県のとある町。六甲山が見える団地の小部屋で祖母が袋を破り、クリームパンを取りだした。
はじっこをちぎって私にくれ、次をちぎって自分の口に入れる。
すると祖母がこう言ったのだ。
「このクリームパン、きっとクリームが入っていないよ」
「えーっ!」
 まさかそんなはずはないと思った。関西で一番大きな製パン会社のクリームパンなのだ。クリームがかたよって入っているに違いないと私は主張したが、祖母の勘がその先を見越していた。


お祖母さまはその後もパンをちぎっては助川少年にくれたが、
クリームは一向にその姿を見せず、
とうとう最後までクリームは入っていなかった。
文句を言いにいく?と訊く助川少年にお祖母さまは
「食べたあとでクリームが入ってなかったと言ってもね」と笑ったそうだ。


 ここからは私の想像だが、
「クリームの入っていないクリームパンを食べられたのも、ひとつの味わいだったね」
と祖母は伝えたかったのではないか。
笑顔がそう語っていたように思う。

 家庭に恵まれず育ち、結婚も破局に終わった祖母は、クリームの入っていないクリームパンを食べ続けたような人だった。
だが、これはこれで味わい深いのさと、自分に言い聞かせてきたのかもしれない。
もしもそうなら、その姿勢は私が継いでいる。
勝ち負けではなく、味わうために生きている。


味わうために生きている。

いいなぁと思う。
いい言葉だなぁと。
そんなふうに生きてみたい。

人生の困難も、
奥に隠れた味わいを見つけ出し、
受け入れ、
もひとつ頑張って面白がることも出来たら、
けっこう、人生楽しいかもと思う。

クリームの入っていないクリームパンを食べたことを想像してみる。
食いしん坊の自分だけど、
最後のパンをゴクンと呑み込んだ後、きっと笑っちゃうかな。
こんなこと、そうそう無いよ。
逆にラッキーじゃん! って、 多分大騒ぎするな。