すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

忘れないための努力


明日で丸3年が経つ。
こうして毎年、或いは半年ごと、或いはひと月ごとに過ぎた月日を数えることが無意味に思えた。
なぜなら、その月日に応じた変化が、それを復旧、復興と言うのだろうが、
当初想像していたものと違い、遅々として形にならないから。
丸2年が経ちましたとテレビで伝えた時も、だから何だと思った。
2年と半年になるからそれがどうしたと思っていた。

ここ数日、
あれから3年となる東日本大震災福島第一原発事故の特集がテレビや新聞等で数多く組まれている。
被災地や被災された方々、避難された方々に再び焦点が当たる。
そんな時、意地が悪い言い方をすれば、思い出したようにと感じる当事者の方もいるのかもしれない。
確かにそうなのだろうと思う。
被災地から遠く離れた地にいると「風化」が忍び寄っていることを残念だけど、残酷だけど、感じる。


だけど・・、 はたと気がつく。
だからこそ尚更なのか。

「被災者の人たちには辛い映像かもしれないけど、こうして見せてくれることで
自分たちは思い出して、またいろいろ気がついたり考えたり出来るんだね」
月日の節目節目を確認することに何の意味があるのかとふてくされていたが、
その時にそれを思い出し、考え、伝えることには大切な意味があるのだと、
わかっていたはずなのに、ここにきて再び気づいた。

その時だけ思い出したように騒ぐのは偽善?嘘っぽい?
そうかもしれない。
でも、それでもと思うのだ。
一年に一度でもいい。
地震と大津波に襲われたあの日の光景。
刻々と悪化する原発事故の状況に危機感を募らせた日々。
被災された方々の想像を絶する悲しみ。
今もなお耐えて生きていらっしゃる方々のあまりにも重い苦しみ。
それらのものに思いを馳せ、考えよう。
伝えていこう。
それを続けていこう。
決して忘れないように。

それが出来れば、
節目節目に月日を数え、思い出したように特集を組むことも十分意味があるのだと、
せめて思いたいあの日から3年が経とうとする、今日。

・・・・・

心に残った言葉です。


重村 淳さん 69年生まれ。防衛医大精神科講師。
東日本大震災の災害救援・復旧に従事した公務員、医療保健従事者、東京電力職員などの心のケアを続けている。

被災した方が一番恐れるのは、自分たちの苦しみに社会が無関心になってしまうことだと思います。「忘れないための努力」を、社会が実践することが重要です。そして、一番苦しい人は誰かということを考え、手をさしのべていくことが求められます。
特に障害者、医療者、自治体職員、原発関係者といった人たちは被災者でありながら、あまり目を向けられることがない。心の傷の回復に時間がかかっているそうした人たちを支えることが、社会に求められていると思います。
復旧や復興は、それに携わる人々の体と心が健康でなければ立ちゆきません。
働く人への「敬意」と「ねぎらい」が、心の傷の回復の鍵になると思います。


和合亮一さん 68年生まれ。福島在住の詩人、高校の国語教師。
99年、中原中也賞。震災後、ツイッターで発表した作品が反響を呼ぶ。

福島はまだ「有事」の中にあります。私たちは沈黙せざるを得ないことに苦しんでいます。
こころのなかに「どこにもぶつけようのないもの」がある。
それなのに風化は進む。
ことばにならないものと向き合うことが、ますます難しくなっています。


先週、映画家路』を観てきました。監督は久保田直さん。
東日本大震災による福島第一原発事故の影響で立ち入り禁止となった福島のある村が舞台です。
捨てるようにして飛び出した故郷に20年ぶりに帰ってきた次男。立ち入り禁止区域となった生家(福島県川内村の旧緊急時非難準備区域でロケ)に一人で住み込み、稲作を始める。
長男は、先祖代々受け継いできた土地を失い、希望を失ったまま狭い仮設住宅で母や妻らと暮らしていたが、長い仮設住宅での生活に疲れ果て、心身は限界を迎えつつあり・・。

これはドキュメンタリーではなく劇映画。
言ってしまえば、作られたお話ではあるのかもしれませんが、
そこで描かれていたのは、まさに「どこにもぶつけようのない思い」や「強いられた沈黙」。
ことばにならないものと向き合うことの苛立ちや無力感がひしひしと伝わり、
ただスクリーンを観ているだけの自分でさえ辛くしんどくなりました。

そして、それにじっと耐える人たちが現実におられることを決して忘れてはいけないのです。

・・・・・

「忘れないための努力」

精神論も勿論だけど、もっと合理的な、もっと具体的な何かを積み上げていくことが
ここに来て更に必要なのかもしれません。