すっとんきょうでゴメンナサイ

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実家の物、整理したい


先日、新聞をめくっていると
“実家の物 整理したい” 
のタイトルが目に飛び込んで来て、思わずかじりついた。
今のワタシになんと good timing!
そうそう、それそれ!

80代の母は生活習慣や経済観念はきちんとしていますが、物を捨てられない人です。
親の物を処分するにはどうすればいいのか知りたいです。

54歳の女性からの相談。
おお、そうそう。まさしくそれですよね~!



義理の母は10年前に義父が亡くなってから一人暮らしをしている。
そもそも整理整頓好きな人ではなかったが、
自分一人で暮らし、誰に遠慮する必要もない気楽さからか、
家の中がとんでもなく物で溢れかえっている。
そこそこ大きな一軒家である。
部屋が5つ。大きな玄関に広い廊下。台所、洗面所、トイレ。そして浴室の中に至るまで。
物が置かれ、積まれ、並べられ、
ひっくり返り、埃をかぶり、ある物は存在を隠したまま、
家中の空間をおびただしく占領し、物が在る現状なのだ。

そんな家の中、義母は6畳ほどの茶の間で一日の大半を過ごす。
義父が生きていた頃はそこで家族揃って食事をし、テレビも観た。
親しい身内や知人が来ると招き入れ、お茶やお菓子、漬物などでもてなした。
今、その茶の間は物で溢れて、とても人様に上がってもらえる状態ではない。
眠り目覚め、一日の大半を過ごし、再び眠りにつく。
あたかも義母だけの充足したテリトリーのような、そんな場所となっている。
他にも4つ広い部屋があるが、今やほとんど必要とされていない。

たまに帰省する度に何気なく整理し片付けようとするのだが、
その気配をすぐ察知する義母が快く思っていないのをこちらも感じるので、
まあまあのところで片付けの手を止めることになる。
そして、次に帰省した時には元に戻っている。
物も増えている。
そんなことの繰り返しなのだ。

だが、

夫と私で義母の住む家を整理し片付けようとすること。
もちろん、義母により快適に過ごしてもらいたいと思うからであるが、
義母にすれば、自分が良しと思っている暮らし方について、
たまに来る息子と嫁になんやかやと難クセつけられ、
勝手にいいようにされている感覚なのかもしれない。

「病気にでもなって寝たきりにでもなったら好きなようにやっとくれ。」
ある時、
お喋りな義母がマシンガントークの合い間に冗談のように言った言葉がつっと胸に刺さった。

(それまではお願いだから放っておいとくれ)
言わなかった言葉も聴こえた気がした。
やっぱりそれが義母の本心なんだろうな。

そりゃそうだよねと思う。
どうして親の家を整理したいかと改めて考えていくと、
正直に言えば、
万が一、義母が亡くなった時の、
大量に遺される物の整理の大変さを今から憂いて、
早めに手を打とうというところ、なのだよね。
しかし、それは我々子ども側の都合であり、
義母にとっては、まだ元気なうちから自分の人生を勝手に整理整頓されて、
内心、ありがた迷惑でもあるのだよね。
義母は物に埋もれて暮らしていても大層機嫌良いわけで、
一人暮らしをまだまだ自分の責任でやれているという自負があるんだよね。
確かにそう。
義母は一人で暮らしてくれている。
子どもたちに手助けしてもらいながらも、とりあえず一人で暮らしている。
そのことを有難いと思うなら、義母の暮らしぶりを尊重し、認めるべきなんだね。
食器棚に民宿を営めるほどの食器が埃をかぶって積まれていても、何の問題も無いのだ。
と、思うしかない。

義母が言うように、いずれはそういう時が来るのだろう。
それからでいいかな、近頃はそう考えている。


話は新聞に戻って。
 

親の家の片付け  7つのヒント

1、親のやる気を引き出す。「捨てる」というと反発が大きいので「整理する」「減らす」という言い方をする。
2、親が大切にしている物を把握する。
3、どんな部屋にしたいか、イメージを親子で書き出す。
4、一人でやらない。兄弟姉妹や友人、「孫の手」も借りる。
5、「必要・不要」ではなく「使っている」「使っていない」で分ける。
6、片付けは心身の負担。疲れたら休み、スケジュールを見直す。
7、第三者の意見や業者のサービスが有効な場合も。

親の片付け心を動かす会話例というのもある。

思い出があるから、と言われたら
「大切な物だからこそ整理して見えるところに置いてあげない?」

もったいない、と言われたら
「置きっぱなしの方がかわいそう」

まだ使える、と言われたら
「いつごろ使うの?」



「親の物を捨てることは、親にとっては毎日の生活や人生を否定された気持ちになるもの」
ともあった。

以前、

夫が部屋の片付けをすると宣言して、
義母も承知の上、家族総出で大掛かりに整理をしだしたら、
突然義母が「気分が悪い」と泣き出してしまったことがある。
それはもう小さな子どものようで、
私たちは「はいはい」と取り止めるしかなかった。
義母の思いもかけない言動に、「そうか、本当に嫌だったんだね」と私たちは話したが、
いや、そんな簡単な感情ではなく、
自分の生活や人生が乱暴に壊されていくことへの耐え難い悲しみが
一瞬にして義母を襲ったのかもしれないと思うと、
今でも申し訳なく、心が痛む。

子どもの目から見ると無駄や無意味に思えて、
「どうしてこんな物をとっておくのか」と責める気持ちになってしまいがちだが、
そこはグっとこらえて、
親の思いを理解し、寄り添いながら誘うように事を進めていくのが大切なのだろうな。 





ところで、実の母の方は、
そろそろ・・、 いや近いうちに・・、 いや・・いつか、
兄家族のそばで暮らすと(勝手に)決めていて、
目下、引越しに備えて荷物の整理に励んでいる。
実家の方の終活も気がかりだったので、うんうん、それは良いこととおだてていたら、
重い物、厄介な物の片付けの度にSOSが発せられるようになった。
正直しんどい気持ちもあるが、
こちらが言わなくても物の整理に前向きに取り組んでくれることは実に有難いことなので、
気持ちよく駆けつけるようにしている。

そして、私は
ますます物を持ちたくなくなっている。
家族が一緒にいればなかなか難しいことではあるけれど、
出来れば、本当に必要な物だけで生きて暮らしていきたい。
自分にとって本当に必要な物が何なのか、
それを吟味し選び取っていくのも楽しそうじゃないかい。
何しろ部屋は、眠って食事が出来ればいいから小さくていいし。
そんなこじんまりとした空間でアッサリと暮らしていきたい。

自分が死んだ後、チャチャッと片付けられて、
娘たちに形見の一つずつでも遺せたら、 
(それを娘たちが喜ぶかどうかは別として

それでもう自分、  good job!