すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

新聞を開いて

 
69年前の8月6日
広島市原子爆弾が投下された
午前8時15分のことだと言う
人々は何をしていただろう
何を始めようとしていただろう
何処へ向かって歩いていただろう
路面電車の窓からは何が見えていただろう

そして何を見たのだろう

三日後
69年前の8月9日
長崎市原子爆弾が投下された
午前11時02分のことだと言う


・・・


今日の朝刊、一面

吉永小百合さんが大きく載っていた
原爆詩の朗読を長年続けておられる

広島、長崎
そして、
沖縄

そして
2011年3月11日の福島原発事故
福島で生まれたたくさんの詩を読み続けていくのだと

どんな状況でも核兵器にノーを
「さよなら原発」声にしていく

下に目をやれば天声人語
広島に原爆投下したエノラ・ゲイの機長だった故ポール・ティベッツの言葉から
 
「私は広島や長崎の人を相手に戦っていたのではなく、我々を攻撃した日本という国と戦っていたのだ。」
機長に限らない。米国側の目は往々に、原爆の投下や空爆を、爆撃機の高度から眺めがちだ。
しかし、地上には人間のいとなみがあった。8月5日、県立広島第一高女の1年だった森脇瑤子さんは日記の最後をこう結んで床についた。
「明日からは、家屋疎開の整理だ。一生懸命がんばろうと思う」。
翌朝に起こることを知るはずもない。作業中に爆心近くで被爆し、13歳で絶命した。

1機による1発が、幾万の命に向けて炸裂したむごさを、鳥の目でなく虫の目で見つめたいと思う。
核廃絶への歩みの、そこに原点がある。

 

 

69年前の
8月6日と8月9日

69年前の
ヒロシマナガサキ

けれど
世界は今も何も変わっていないと気づかされる

国と国の戦いで命を落とし傷つくのは
爆弾を落とされた其の場所に
平凡な暮らしがあった人たちであり

現実の痛みや苦しみを知らない者が
遠く高い所から鳥の目で見ても
きっと本当のことはわかり得ない
傷つき痛む人の足元の
血や汗や涙の染み込んだ地べたを這う虫の目で
しっかと見なければ

そして、そんなことは
この国の中にもある

そう、あらためて思う 

ページをめくるとその見開きには
イスラエルパレスチナ自治区ガザのイスラム組織ハマスによる戦闘の記事
3日間の停戦に入り、ようやく収束の兆しが見え始めたと伝えているが
約1ヶ月続いた戦闘はガザで1800人以上の命を奪った

危険ドラッグ

防衛白書が中国・北朝鮮の脅威を強調し
集団的自衛権の重要性説く

そして、3.11以来
福島原発事故がもたらした様々な現実を伝え続けてきた『プロメテウスの罠』
今日1000回となったが
未だ何一つ解決しておらず
何も終わっていない


・・・・・


ああ~~~
何か心が晴れるような
何か心が温かくなるような
そんな記事はないものか・・

そんな思いでふと下の書籍広告を見ると

荻原浩さん「幸せになる百通りの方法」 とな

次のページには

植西聰さんの「平常心のコツ」 っていうのもある
乱れた心を整える93の言葉が書いてあるらしい


うーーむ

そういうの
ちょっと欲しいかも・・