すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

わたしは今日まで生きてみました

 
半年間くらい
カーステレオから流れる音楽は代わり映えせず繰り返されて
たくろうの懐かしい歌たちも気がつくと巡って来ます。
そんな中、先日聴いたその歌詞が初めてであるかのように深く胸に沈んで
ふと、ろくのことが浮かびました。
 
 
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
 
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
 
わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
 
わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
 
けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんなわたしです
 
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
 
そして今 わたしは思っています
明日からも こうして生きて行くだろうと
 
by 吉田拓郎 「今日までそして明日から」
 
 
ろくはインコですからもちろんそんなことを言いませんが
 
ああ、ろくは
まさしくこの歌詞のように生きてきたなぁと
(ろく自身がこの歌を歌っているさまを思い浮かべたりして・・)
 
たくろうの歌を聞いて
ろくの生き様を思うのは
何だか変と言うか、自分でも妙な感じなのですが
 
人も鳥も
命あるものが生きるということは
結局、そういうことなのかもしれないなあと
改めて考えさせられたのでした。
 
 
 
家族の一員であるろくは12歳になるセキセイインコ
人間の歳なら90歳超えです。
最近右足の動きが悪くなり病院で診てもらいました。
いただいた薬を飲ませ、安静を保っていたのですが
昨日から左足も具合が悪くなり
昨夜、何度も止まり木から落ちる音が聞こえました。
しっかりと止まり木を掴めなくなったようです。
バサバサっと音がするたびに電気をつけカゴを覗くと
黒い瞳で私を見上げます。
そして安心したように餌をついばみます。
4回それを繰り返し
5回目に無視をしたら
私を呼ぶようにしばらく鳴いていました。
人間が歳をとっての徘徊行動にちょっと似ている気がして
可笑しくもあり切なくもあり
愛おしい思いを抱えて目を閉じました。
 
今朝、低い位置に変えていた2本の止まり木を外し
餌箱や水入れも下に置きました。
少しでも落下を防ぐためです。
せめてもの慰めにと
愛用していた鏡付きブランコを
チェーンを使って床すれすれに設置したところ
早速乗って、大好きな鏡に顔を近づけ喋りかけていました。
ブランコはもう揺れませんが
久しぶりに満足気なろくでした。
 
家族で話しています。
覚悟をしておこうねと。
 
 
 
話は全然変わりますが、
たくろうは少し前からボイストレーニングをやっていて
その中で後半15分は実際に歌わされるそうで
自分の歌ではなく幅広いジャンルから選曲されるのだが
実際はずっと同じ曲になっている(笑)と。
 
で、ある日先生が「この曲やってみましょう」と選んだのが「スーダラ節」!
 
先生のご指示だから僕は黙って
一生懸命歌うのだ
 
たくろうが
チョイト一杯のつもりで飲んで~♪
いつの間にやらハシゴ酒
と歌う様を想像すると可笑しくてたまらない
 
来たるべき(?)レコーディングとライブ目指して
とあるので
これは是非、たくろうさんの「スーダラ節」を聴いてみたいと思うのでした