すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

島を出る

小豆島に帰っていました。
年老いた両親が島を離れることになったのです。
 
今月半ば、愛知県に住む兄の近くに引越すこととなり
その準備などを手伝いました。
と言うより
ほとんど私が執り行いました。
85歳と84歳の親にはもう無理なのです。
 
引越し業者の手配
荷物の整理と処分
銀行の手続き
役場への転出届などなど。
あ、それから補聴器の整備にも付き添って。
滞在中、毎日何かしらの用事をこなし
こちらに戻るという日にも
ゴミを7袋と郵便局に転居に伴う郵便物転送届を出し
そのまま港に向かいフェリーに飛び乗ったのでした。
 
 
 
別れ際、親とゆっくり挨拶できなかったけど
引越し先にはすぐにも向かうつもりなので
それは別にいいのだけれど
 
ああ・・
自分ももう島に帰ることはないのだなぁと
瀬戸内海を進むフェリーの中でふと考えて
 
それは当たり前のことなのに
うっかりしていて
心がすうっと寂しくなりました。
 
同時に
生まれ育ったふるさとと決別しなければならない父と母の心情を改めて思い
胸が締めつけられました。
 
そして
大人になり島を出て都会で生きてきた父と母が
定年後、島に戻り、第二の人生に奮闘した証。
それらを切り捨て、再び島を去らなければならない胸の内を想像すると
可哀想で切なくなりました。
 
それは、私や兄がそうして欲しいと願ったことです。
私たちは親の元に帰ってあげることはできないのです。
体がすっかり弱って、もういろいろなことが出来なくなっている親の行く末を
親自身も私たちも考えた上での結論。
 
ですから仕方ないのですが
それでもやっぱり、どんなに寂しいことだろうかと。。
 
責められる気もしますが
仕方ありません。
 
・・・
 
こちらに戻って来て
先ほど、電話で母と話しました。
せっかちな母は半月先の引越しのことで頭がいっぱい。
 
でもね、
島でのおそらく最後になる日々を大切に
十分に別れを惜しんでね
 
そう言うと
 
うんうん、そうやね
パパは寂しい言うてる
それよりアンタ、赤いタオル忘れていったな
まあ、引越しの荷物ん中に入れて送るわ
 
ああ、はいはい
頼んます
 
 
 
あくまでも前向きな母は、父を置き去りに
すでに前を向いているのでした。
 
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