すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

名古屋の想い出

 
先週、群馬に住む義母の介護を終えた翌日
瀬戸内の島から愛知の兄の元に転居した実両親の様子伺いに出発。
昨日、埼玉に帰って来ました。
 
先月中旬に引越してちょうど一ヶ月。
慣れない住まいでの炊事、洗濯、掃除を何とかこなし
日々の買い物やちょっとした外出にもまあまあ慣れたよう。
ぼちぼちでも新しい暮らしに馴染んできているようで少し安心しました。
それでも、まだ一ヶ月しか経っていないのに
入居時ピカピカだった水回りやガス台などは既に水垢や油で薄汚れていて
ああ、もはやこまめに掃除するなんてことは出来ないんだなぁと。
それはもう仕方ないんだろうなぁと蛇口やガス台や磨きながら思いました。
 
ちょっと心配なのは耳が遠い母に話しかける父の大声。
そしてテレビの大音量。
集合住宅で、しかも今の時期網戸で過ごすこともあるわけですから、さぞお隣上下のお宅にご迷惑なのではと。
おそらく話の内容まで丸分かりと思われ。
滞在中、預金を移し替える話になった際にはその金額までも大声で会話されましたから、財政状態は筒抜け。。。
せめてそういう話の時はまず窓を閉めてねと言いましたが、どうなることやら。
 
 
 
実は、名古屋は子どもの頃に暮らした懐かしい場所。
ということで、
その懐かしい場所にスマホのナビを頼りに父の車で出かけてみました。
 
転勤族だったのに1年から6年まで転校もなく通うことができた小学校
 
イメージ 1
 
正門の位置が当時と変わっていましたがシンボルの松の木は健在
校舎は全く面影がありませんでした
40年以上も前だからそりゃそうか・・
 
イメージ 2
 
唯一、あっ!と当時の面影を見た百葉箱
と思ったけど新しくなっているのかもしれない
なにせ40年以上も前ですから
 
当時、学校を取り囲むこの辺↑のフェンスだったかブロック塀だったかには
小さな子どもならするりと抜けられる隙間があり
小学校の斜向かいに住んでいた私は、忘れ物があるとこっそりその隙間を抜け出して取りに帰っていました。
おかしな時間に戻ってくる娘を「あれ?どうしたん?」と言いながらもたいして気に留めない母をいいことに
すり抜けの術を繰り返していたところ
ある日朝礼で先生がご発言。
「休み時間に学校の外に出る人がいるようですが、危ないのでやめましょう」
ざわめく友だちの中、冷や汗でうつむいた私でした。
 
イメージ 3
 
友だちの家や市場に行く時しょっちゅう通った交差点ですが
こんなに小さなどうってことない四つ角だったとは・・
あの頃の私にとっては大きな大きな
渋谷駅前のスクランブル交差点とまでは言わないけど
それぐらい大きくて渡るのに慎重さを要する交差点だったのになぁ
 
イメージ 4
 
お祭りや写生大会の思い出がいっぱいの神社
 
お祭りの日、親から100円を貰って出かけると
金魚釣りとヨーヨー釣りをして、あと何か一つ食べるものを買いました。
お金がなくなってもいろいろな出店を覗くのが楽しかったなぁ。
りんご飴はちょっと高くていつも我慢していたけど
ある時思い切ってりんご飴を一番に買って食べてみたのです。
なのに自分が想像したようには美味しく思えなくてワタシの心はしょんぼり。
あれ以来りんご飴は食べていません。
黄色いヒヨコも箱に入って売られていました。
お向かいのお兄ちゃんが買って育てたお祭りのヒヨコはいつの間にか大きな赤いトサカの鶏になり
毎朝大声で時を知らせていたっけ。
針で型を切り取る、というのもあって(あれってなんだったんだろ?)
クラスの男子が職人さながらに没頭する様がカッコ良く見えたりした( ´艸`)
 
イメージ 5
 
まさか、今もあったとは! のお肉屋さん
いやーーー懐かしい!!
 
半ドン(ってコレ今は言わないのかな?)の土曜日。
学校から帰ると昼食のおかずを買いに走ったものです。
兄はメンチ50円、私と母はコロッケ30円、いや10円だったかな?
揚げたてのそいつらを家に持って帰り、皆でハフハフと食べました。
いやーーー美味しかったなぁ・・(*´∀`*)