すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

美しい人

 
9月15日、樹木希林さんが亡くなりました。
 
そのすぐ後からワイドショーや追悼番組などで
生前の彼女の姿や発言を幾度も見て聞いて
ああもう、希林さんの飄々とした振る舞いや芸達者ぶりを見ることは出来ないんだ
ああもう、希林さんの一刀両断に言ってのける発言や
そこはかとないユーモアや生真面目な繊細さが滲み出るお喋りを聞くことが出来ないんだと
今もなお、寂しさを覚えます。
 
おかしなことを言うようですが
近しい人としていて欲しかったな、とか
それでいろんな話を聞いてもらって
そりゃダメよなんて叱られて
希林さん語録もたくさん聞かせて欲しかった、とか
そんな思いも湧いてくるのです。
(妄想、スミマセン・・)
 
 
若い頃、夫、内田裕也さんとの離婚無効の訴訟を起こした時の会見で
希林さんが内田さんを「美しい人」と言っているのを聞いて
ドキン!と衝撃を受けました。
少なからず感動も。
 
周りから見れば
到底一筋縄ではいかない
普通なんてクソ喰らえの破滅型ロケンローラー
 
のはずなのだけど
 
希林さんにとって内田裕也という男は
滅多にいない「美しい人」なのだと。
 
はあ~~~、シビレルねえ・・
希林さんのその発言こそ ロケンローラーだ。
 
よくわからないけれど、希林さんがそう言うのだから内田裕也さんの本質は「美しい人」なのかもしれない。
それは、普通の人は気づかないような、見つけられないような「美しさ」なのかな・・。
トゲトゲのガラスに覆われて、それに触れようとするとトゲが刺さり、下手すると粉々に割れてしまう。
だけど間違いなくガラスの向こうにキラキラと輝く「美しさ」が垣間見えて、それに希林さんはときめくのだろうか。
 
内田さんのその「美しさ」を見て「美しい」と思う希林さんも「美しい人」なのだろうな。
そんなことを思いました。
 
希林さんにとって、人として「美しい」とはどのようなことだったのでしょう。
(妄想絡みで、これまたスミマセン・・)
 
 
樹木希林さんが亡くなられて数日後、内田裕也さんがコメントを出されました。
 
最期は穏やかで綺麗な顔でした。
啓子 今までありがとう。
人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。
おつかれ様。安らかに眠ってください。
見事な女性でした。
 
 
なんて美しく、なんて優しい追悼の言葉かと思うのです。
 
人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う
 
内田啓子という人の「美しさ」を誰よりもわかっていたのは、やはり裕也さんだったのだと
強く胸を打たれました。
 
こんなに美しく優しい言葉を送る内田裕也さんは
希林さんがあの時言ったように、やはり「美しい人」なのでしょう。
 
では、樹木希林さんはと言えば
裕也さんが言うように見事な女性であり、見事な人であり
そして、
希林さん自身が追い求める「美しさ」を全うした、本当に「美しい人」だったのではと思います。
 
 
ブログのお友だちのところで、希林さんが仰っていたという言葉が紹介されていました。
 
「時が来たら誇りを持って脇にどけ」
(ドイツの詩人、エーリッヒ・ケストナーの言葉だそうです)
 
半世紀以上、実力も人気も兼ね備えた役者として堂々とやって来られた希林さんの
晩年の生き方の指針だったのでしょうか。
いかにも希林さんが仰りそうな。
希林さんの、人としての品格が伺えるようです。