すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

『E.T.』の想い出


先日読んだ糸井重里氏のエッセイの中に

「好き」っていう感情は、ものすごいものだ。
「好き」は、それぞれの人の大事な宝物だ。
ありとあらゆるものを失ったとしても、
「好き」があったら、そこから生きられる気がする。 

じぶんの「好き」を、落ち込みきったところで、
こころの水底から拾い上げる人もいるかもしれない。
両親から、いつのまにかプレゼントされる人もいそうだ。
好きになった人からもらったりもするだろうけど、
失恋の相手から受け取った人もいるだろう。 

という言葉があり、
自分の体験からもそれはそうだろうなぁと深く頷いた。
「好き」という感情だけで追いかけながら、自分自身が励まされ支えられている。
今までの人生の中でそんな場面の如何に多かったことか。
辛いことやしんどいこともそれで何とか乗り越えられた。
ありきたりな言いぐさだけど、自分はまさにそうだった。

 で、「ほぼ日手帳」の糸井さんは

ほぼ日手帳に、毎日、好きについて書く」
っていい考えだと思いませんか、と。
「好きかもしれない」こと、もの、人、他いろいろ。
それについて考えて、記しておくってよくない?
(略)
「好きから、はじまる。」
いいテーマだ。もっと広げよう。 

確かに、毎日「好き」について書くっていいのかも。
何かを「好き」な気持ちを一日一回思い出して
ワクワクとかほのぼのとか、そんな心持ちになるって、ね。


それで、ちょっと書きたくなったのが
プロフィールにも記した好きな映画のこと。

先ずはなんと言っても 『E.T.』 
1982年公開で、当時、職場の女性の先輩と劇場に観に行ったのだが
私は少なくとも上映時間の半分、ただただ泣いていた。
お月様に少年とE.T.が乗った自転車のシルエットが浮かんだ瞬間
不意に無垢な清らかさに胸を突かれ、号泣。
少年たちとE.T.が大人たちに追いかけられながら自転車で空を飛んでいる場面では
ずっとハンカチで口を押さえながら嗚咽。
自分でもどうしてこんなにと、わけが分からなかったが
何しろ泣けて泣けて仕方なかった。
E.T.が少年と別れて宇宙に帰る時には、もう涙も出し尽くした感じで
ぼーっとしながら、ただ涙がこぼれていたのを憶えている。
先輩は「何故、これ観てそこまで泣ける?」と心底不思議そうだった。

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あの時、自分の中に満杯になって溢れ出した感情は
自分が子どもだった頃そうとは気づかず
大人へと向かう道程でいつしか手離したかけがえのない大切なものへの
愛しくて切なくて苦しくなるほどの思慕だった気がする。
そして同時に、
求めてももうあの頃には戻れないという条理が、ひどく寂しかったのだと思う。
 

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余談だが、
『E.T.』と同時期にめちゃくちゃ話題になっていたのが愛と青春の旅だち』。
そちらも同じ先輩と観た。
先輩はラストシーンでうっとりと涙をこぼしていた。
私も泣くには泣いたが、リチャード・ギアの王子様ぶりにちょっと照れたりして
「ええー、あんなこと普通しますかあ?」
などと言って顰蹙を買ったのだっけ(苦笑)。