すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

義母のルーティン


義母を在宅で介護していた頃のこと。
デイケアショートステイに出かける直前
いつも決まって義母はトイレに行くと言う。
たとえその1分前、30秒前に用を足していてもだった。

車椅子の義母をトイレの前まで運び
介助しながら便座に座らせ
用を足すのを待ち
(少し前にトイレに行っているのでほとんど出ない)
再び介助しながら車椅子に移乗させ
施設の職員さんが待つ玄関まで連れて行く。

毎回職員さんを待たせてしまうのが申し訳なく
また、お迎えの時間が分かっているのに
準備が出来ていないと思われるのも内心嫌だった。

「あら?さっきトイレに行ったから大丈夫じゃない?」
初めの頃はそう言って速やかに出発してもらおうとした。
けれど、やはりトイレに行ってからじゃないと出かけられない義母。
ならばと、お迎え時間のギリギリ直前にトイレに行くことを促し
「もうこれでトイレ行かなくても大丈夫だね」
と言い聞かせるように言ったりした。
それでも必ず、義母は出かける寸前にトイレに行った。
その1分前、30秒前に用を足していても。
周りの人を待たせても。
息子である夫は遠慮も無いからそんな義母を怒ることもあったが
義母はそのルーティンを遂行することを決して譲らなかった。

私は途中からもういいやと思うようになった。
義母がそうしたいならそうすればいい。
待たせると言っても数分。
家族が分かっているのに準備が出来ていないと思われるのは少々残念だったが
まあ別にいいかと。


今、義母は施設に入所している。
広いフロア、十分に手すりの付いたゆったりとしたトイレ。
自ら車椅子で動き、好きな時にトイレに入り
誰に急かされることもなく用を足している。
本来、人の手を煩わせるのが心苦しい性分だから
義母にとってそれはとても自由でホッとすることなのだろうなと思う。


ところで、そんなふうに義母に言っていた私たちだが
今や、出かける前にトイレに行かないと不安な年頃になっている。
少し前に用を足しても、家を出る寸前に、「あ・・」ともう一度。
あの時の義母の思いが実感となって分かる。

「おばあちゃんのこと、言えないね。おばあちゃんに悪かったね」
今さら反省である。


その歳にならないと分からないことがある。
その人と同じ立場にならないと分からないことがある。

自分が今、当然と思って言っていることが
他の人にとって、違う立場の人にとって
必ずしもそうではないということを
こうして時折、気づかされるのだ。