すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

Whyは考えない


先週末、三女が帰ってきた。
大学卒業後、就職と同時に家を出て
最初の2年間ほどは長女と一緒に暮らしていたが
その後、暮らし方の不一致とやらで別居(笑)
今は一人暮らしである。

こたつで向き合いながら喋っているとふと錯覚に陥る。
いわゆるお肌の曲がり角も過ぎた年ごろなれど
子どもの時のままの顔に見える。
苦労を知らない細く白い指も
手をつないで歩いた頃と同じに見えて
こんなんで世間の荒波を乗り越えていけるのかと不安が過る。
そんなふうにいまだに心配する私に長女が
「ひ弱いように見えてけっこうしっかりしてるから。末っ子のそれに騙されちゃいけない」
とくぎを刺す。
まあ、そうなんだろうと思う。

強い風が吹けば飛びそうな薄っぺらい体だが、意外と健康。
「仕事が辛くて休みたいと思うのにちっとも具合悪くならない」
「しんどいのに熱が出ないから休めない」
のが残念で仕方ないらしい。
ただ、精神は少々過敏。
すっかり図太くなった母(私)ならば一吹きで吹き飛ばしそうなあれこれに
いちいち反応し、イラつき、ストレスを抱えている。
何をストレスと感じるのか、その要因は人それぞれであろうから
さも大したことないような下手な励ましや安易な慰めはしないように
ただただ聴いてやって
彼女のストレスが少しでも軽減すればと思う。


今回も職場での不満や愚痴を散々吐き出していった。

どうして そんなふうにしか言えないのかなと思う」
どうして そんなことをして平気なのかなと思う」

けれど、相手には決して言わないし、言えない。
ただ自分の中で怒るのである。

何でも思ったことを言えばいいというものではない、というのはわかる。
何でも思ったことを言うわけではないが
これは言わなきゃと思うことはどのようにしたって相手に伝えようとする私からすれば
言わずに堪えることの大人としての冷静さや謙虚さは
娘とはいえすごく尊敬する部分である。
そういう点では私はいい歳して大人ではない。
そんな母のやり方を娘に押し付けようとは思わない。

しかし今回、
周囲に対し、どうして?と思い悩み何度も繰り返す娘に
「どうして?って、どうしてそんな理由を考えてあげてるの?」
「同じことを繰り返し、ずっと変わらない人に、どうしてそうするのかとかどうしてそうなるのかとか、特段の理由なんて無いよ」
「その人はそういう人なんだよ。Whyを考えるなんて不毛だわ
と、つい過激発言をぶち上げてしまった。

思えば、小さい頃からもめ事が嫌いで、良く言えば平和主義の三女。
もめそうな気配を察するとその場からするりと去り
遠くから冷めた目で見ているところがあったかもしれない。
気が合わないと感じた人には決して近づかなかったので
結果、友だちとの喧嘩というのも多分少なかっただろう。
どうして?と理解不能の人との軋轢や理不尽をほとんど学ぶことなく
曲がりなりにも大人になった末っ子は
今まさに社会という真っただ中でその激しき渦にもまれている。
「今までラッキーだったんだね」と娘に言いながら
上の娘たちと比べて人とのもめ事の少ないことに安心するばかりで
そういう修行をさせてこなかった親としての至らなさを思わずにいられなかった。

どう言えば娘の心を癒し、少しでも楽にできるのかわからなかったが
最後に口からついて出たのは

「もっと自分を大事にしてあげて」
「どうでもいい人のWhyを考えてあげる前に、自分に優しくしてあげて」

どのような筋道でこれに至ったのか自分でも明確に説明できない。

ただ、
周囲にばかり気が向いて、周囲にばかり囚われて
娘の心や時間が奪われているのがとにかくもったいないと思ったのだった。

あまりにも唐突な母の結論を娘は理解し受け止められただろうか。

「自分だけで考えてるといつも同じになっちゃうけど、ああ、そんなふうに考えるんだって教えてもらえるのは有難いよ」
と、いつものように大人びたコメントをくれた末っ子だった。