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人たらし

 
大人になって「人たらし」という言葉を聞いた時、
何か据わりの悪い響きに、無理やり「女たらし」にはめ込んで言葉を作ったのかと思ったものだ。
 
「女たらし」は子どもの頃からよく耳にし目にした。
そう呼ばれる人物が身近にいたわけではないが、テレビドラマや映画、ニュースや本の中にいた。
調べてみると「女を誘惑してもてあそぶこと。また、それに巧みな男」(出典:デジタル大辞泉)とある。
最近では「男たらし」もいるだろう。あ、昔もいたか。
この場合の「女(男)たらし」はあまり良い感じはしない。
そもそも「たらし」は漢字だと「誑し」。「誑かす(たぶらかす)」と同じ字だからそういうことだろう。
 
では「人たらし」はと言うと、
1、多くの人に好かれること。また、その人。
2、人をだますこと。また、その人。
とあった。(出典:同上)
 
同様に「たらし(誑し)」が付いているのだから2の意味は当然。しかし私には意外だった。
どういうわけか「人たらし」に悪いイメージを持っておらず、1の意味だと思い込んでいたからだ。
「ったくもう、わかっているけど憎めない」みたいに女心かはたまた母心をくすぐられ、
人間としての魅力に溢れ、ちょっとイケてるぐらいのイメージを抱いていた。(恥ずかしながら・・)
 
ということで、ここからは1のイメージの「人たらし」について、私の偏見とも言える考えである。
 
自分が思う「人たらし」のヒト
坂本龍馬(実際に会ったことがないので司馬遼太郎さんの描く龍馬像)
今話題の中居正広さん
 
自由奔放で、好き勝手言って、ちょっと要領も良く、いつの間にか相手の懐に入り込む。
いろいろ迷惑かけられても憎めなくて、結局最後は仕方ないかと相手に思わせてしまう。
しかも、相手もそんなに嫌ではなく受け入れてしまう。
それどころか何だか楽しかったりするのだからかなわない。
 
ただ「人たらし」を成功させるには、
その場の雰囲気をいち早く察し、いい塩梅に気配りし、必要以上に出しゃばらない。
引くときは速やかに爽やかに。
時には相手の喜ぶことをちょっと入れて、可愛げも醸し出す。
というようなことが大切で、「人たらし」のヒトたちはそこのところよく分かっている。
よく分かっていると言っても戦略的ではなく、自ずと身に付いている。だから愛される。
 
ふと、上のお三方は皆大人数の兄弟の末っ子であることに気づく。
 
坂本龍馬は兄一人、姉三人の五人兄弟の末っ子である。
土佐藩郷士の家に生まれ下級武士の身分でありながら、脱藩した後も激動の幕末において活躍し、
薩長同盟の成立、倒幕、明治維新に関与した。
その間、多くの歴史上の人物と関わりながら「人たらし」ぶりを遺憾なく発揮し、歴史を導いていく。
司馬先生の「竜馬がゆく」の中で坂本龍馬の虜になった人は多いはず。
 
鶴瓶師匠も五人兄弟の末っ子。
NHK鶴瓶の家族に乾杯』を観ていて、見ず知らずの人と打ち解ける速さに感心する。
そういうテーマの番組だし仕事なのだから当然だが、彼の笑顔や語り口から滲み出る人懐っこさは無敵。
仕事とはいえ自分の中に無いものをあの様に出せないだろうから、あれが彼そのものなのだと思う。
相手も知らず知らずのうちに心を開いてしまうのだから正真正銘の「人たらし」だろう。
 
中居くんは三人兄弟の末っ子だ。
先日、彼の退所会見が素晴らしかったと多くのメディアが取り上げていた。
様々な方向、様々な人への気遣いはきちんと真面目に。
かと思うとサービス精神も忘れず笑いや自虐も。
かなり高度な「人たらし」の術である。ほとんどの人が好感を持っただろう。
そんな「人たらし」の能力が彼のMC力を真骨頂と言われるまでに高めたとも思う。
 
大人数の家族や兄弟の中で末っ子として揉まれ愛され育つことで「人たらし」力が身に付くということ、
たまたまこの三人がそうであって偶然かもしれないが、確かにあるのかもしれないと思ったりする。
 
それから、
「人たらし」のヒトたちの根底にあるのは“人が好き”で“人を信じる”という(無意識の)人間性なのではないかということも思う。
それはつまり、温かい家族や兄弟の中で育まれたということでもあるのだろう。
 
あくまでも、1のイメージの「人たらし」についての独断と偏見である。どうぞご容赦を。
 
 
余談だが、
「人たらし」とは「他人をうまく引き付け、意のままにすること。また、そのような人」という説明もある。
「人たらし」の天才と言えば豊臣秀吉だそうだが、彼はまさにそうと言えるだろう。
また、私的には吉田拓郎氏も「人たらし」。
彼は身に覚えが無いだろうがウン十年誑かされてきた(苦笑)。そう言えば拓郎も三人兄弟の末っ子だ。