すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

幸せの形~川上未映子さん

 
スマホでスケジュール管理が出来る時代ですが、それに関してはアナログ派の自分です。
毎年手帳を購入し、スケジュールはもちろん、その日あったことや買った物などを書き込んでいます。
後で見返すと、忘れていたことを思い出したり、こんなふうに考えていたのかと少し驚いたり。
大げさなことを言えば、自分自身を改めて発見したりするのです。
 
2011年11月にはこんなことを書いていました。
 
 
優しい気持ちになりたいなぁ
みんなが優しい気持ちに満たされますように
幸せを感じたいなぁ
みんなも幸せを感じられますように
ここのところ、そんな思いが心の中いっぱいに膨らんで
そんなときはきっと、みんなでなく自分の心が不安なのでしょう
どうしたらいいのかと何かをさがしているようなのです
 
そうしたら今朝、「天声人語」の中で作家川上未映子さんの言葉を目にしました
 
「幸せの形は決まったものではない。
昔を振り返った時にあったなと眺められるような、今この瞬間はあるなと思えるような、
点のようなきらめきでもいいのでは」
 
ああ、そうだ そうだったな
あんなに幸せな昔があった
優しさに包まれて心から満たされた時があったなぁ
今だって、ああ、幸せだな ああ、うれしいな、と思える瞬間がある
そう気づいたら、ああ、自分はなんちゅう幸せ者かと有難くて急に泣けてきました
幸せはずうっと線のように続いて欲しいと当たり前のように願うけど
そうか・・・
そのとき一瞬きらめいた点のような幸せでも、ひとは十分幸せを感じることが出来る
幸せになれるのだなぁ
それでいいのだった
少しはわかっていたつもりなのに
とてもとても初めてのことを教えてもらった気がしました
いつまでもそのことを忘れないようにしたい
そして
いつまでもそのことを感じられるように
 
傲慢にならないように
卑屈にならないように、です
 
 
 
2011年は東日本大震災があった年。
震災後のこの国を見続ける中で、不安や虚しさや絶望や、そういったものを抱えていたのかな。
いや、それとは全然違う何かを抱えていたのかな。
 
川上未映子さんの言葉に励まされたのは確かでしょう。
そうだそうだ、自分は幸せなんだと自分に言い聞かせ納得する。
そうかそうか、幸せの形とは決まったものではないのだと教えてもらい安心する。
 
ポーカーフェイスのふりをして、人一倍人の優しさや幸せの概念に敏感で、心が求め揺れ動くのは幼い頃から変わりません。
 
それでも、
「幸せの形は決まったものではない」
再び川上さんの言葉に出会って、今やそれをすっかり実感し実践していることに、
我ながら逞しくなったものだとちょっと可笑しくなりました。
開き直りとも言えます(笑)