すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

長く生きること

 
10年ほど前、
とある病院で月に一度、車椅子の方々の移動のお手伝いをさせていただいたことがあります。
 
ある日、そこでお会いした女性が
「こんな歳になるまで生きるとは思っておりませんでした。あと7年で100歳になってしまうなんて信じられないことです」と仰るのです。
その方は確かにご高齢のようにお見受けしましたが、
(ということは・・)御年93歳⁉でいらっしゃるようにはとても見えませんでした。
車椅子を押させていただきながら後方からの私の言葉も普通に聞き取ってくださり、
何より言葉を交わしながら拝見する横顔の白いお肌が艶めいていらっしゃったのに驚きました。
これまでお歳を召されてもしっかりとお元気で、そして美しく過ごしていらしたのでしょう。
なので、「いえいえ、とてもお若くていらっしゃいます」と申し上げたら、
「少し前までは自分の足で歩けましたのに、情けないことです」と。
車椅子で移動しながら真っ直ぐ前を向かれたお顔やお体がいく分沈んでいらっしゃるようでありました。
それでも別れ際には私の顔をきちんと見て、優しく少し寂し気な笑顔で手を振ってくださいました。
お歳を重ねていらっしゃるけれど、その長い年月のあらゆるものが浄化されたかのように、
可憐で透き通った笑顔でもありました。
人はまたこうして“純”に戻っていくのかな・・と思わせていただいた出来事でした。
 
そんな彼女の
「こんな歳になるまで生きるとは思っておりませんでした」と問わず語りに仰った言葉が心に刺さり、
少なからずショックを受けたこと憶えています。
どういうお気持ちなのだろうと我が身に置き換えて想像してみましたが、
多分、彼女の心の奥底は知り得ない。自分などにはわかり得ない。
そんな気がしました。
 
 
86歳で亡くなった母も晩年同じようなことを言っていました。
「こんな歳まで生きてやる~と思ってたわけじゃないけど、生きちゃうのよ」と。
常に前向きだった母は健康であることにも貪欲で、様々な健康法を実践しながら生活していました。
ですから、母は長生きするべくして長生きしている、
長生きすることに躊躇いなど無いはずと娘としては思っていたので、
「生きちゃうのよ」という言葉の中の、何やら不本意であるかのようなニュアンスに、
あれ?そうなの・・?と意外でした。
 
心臓の働きが悪くなっていつもしんどい
足も弱ってきて、体も思うように動かない
長く生きるってことには逃れようのない老いも付いてまわるんやなぁ
健康で長生きしようと思ってたけど
なんや、思ってたようにいかへんなぁ・・・
 
そんなところだったのかな。。
 
 
体力が衰え、思うように動けない体。
好きなことも制限され、あれやこれやと指図され、
誰かの支えが無ければ暮らしていけない。
 
長生きできることは間違いなくラッキーで幸せなことでしょう。
それでも、
“長く生きること”には痛みや悲しみや情けなさがついてまわるのかもしれません。
 
 
 
先々週肺炎で緊急入院した90歳の父は100歳まで生きると言います。
ただ、
遊ぶことが大好きで、
お金を使うことが大好きで、
お酒も煙草も大好きで、
そんな父がただ長生きする為に、
好きなことを我慢し子どもたちに従って生きていることが果たしてどうなのかと、
自由奔放な父を見てきた娘として複雑な思いに駆られます。
でもまあ、長生きすることは父の望みなのですが。
 
 
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