今日、施設に入所している義母と“Zoom”でリモート面会しました。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で義母ともしばらく会えていません。
月に一度、定期検査の為、長男である夫が義母を病院に連れて行くのですが、
4月からそれも遠慮して欲しいということで、施設の方にお願いするようになりました。
家族とはいえ避けられる接触は防ぎ、ウイルスを外から持ち込まない為の対策です。
久しぶりの義母は久しぶりと思えないほど変わりなく、いつもそうであるように淡々とした感じ(笑)
つまり愛想が無い、反応が薄いってことです(^^;
正直言えば、義母のそんなところがずっと苦手でした。
良くも悪くも喜怒哀楽が明白な家庭に育った私です。
冗談を言い合い、バカみたいに笑い合い、自分の考えをぶつけ合う家族でした。
「ありがとう」は大きな声で心を込めて伝えることも、親に躾けられたこと。
しかし、義母との関りには家族として自分が当たり前のように抱いていたものが存在せず、
自分のした事に対して喜んでくれる気配もなく、会話も何か噛み合わず盛り上がらない。
ほんのたまに言ってくれる「ありがとう」の言葉も、違う所を見ながら口ごもるように呟く。
そんな義母の様子に無視されたような、否定されたような、そんな感覚に襲われたものです。
嫁姑関係を30数年続けていく中で、よくよく考えると、嫁として姑にいじめられたこともきつく当たられたことも一切ありません。
ですが、やっぱり義母の淡々とした感じは今でもちょっと苦手です。
喜んでもらうにはどうしたらいいんだろうといつも躊躇って悩んでしまうんです。
パソコン画面に車椅子で登場した義母に、「おばあちゃ~ん、元気?」とこちらから大きく手を振ると、
珍しく少し笑顔で「元気だよ」と手を振り返してくれました。
普段の義母を思えば、それほど感情的な対面とはならないだろうと予想していたのですが、
逆に、相変わらずの義母の様子に何故だか愛おしさや憐みが湧き起こり、涙ぐんでしまった私です。
ええ、私だけ。義母は淡々としていますから(笑)
ただ、しばらく顔を見せなかった息子(夫)に今こそ言わなくてはとばかりに、
我慢していることや納得がいかないことを矢継ぎ早に訴えた義母。
頭の回転が速いからだと思いますが、いろいろ気になり不満も生まれやすい義母です。
けれど、今までそんなふうに、
まして普段お世話して下さる職員さんがそばにいる状況で口にすることはほとんど無かったと思います。
なので、少し驚きました。
後で施設長さんが事情を説明して下さいましたが、義母のプライドと、加えて認知症状も出ていて、
それによる行き違いなのかなと感じました。
少しずつ説明しながら理解していただきますねと、施設長さんの申し訳なくも有難いお言葉。
実の父の事もそうですが、家族でも大変なこと、いえ、身近な家族だからこそ大変なのかもしれません。
その大変さを引き受けてお世話してくださる介護・看護現場の方々には感謝以外の何ものでもありません。
「またね」と何度も手を振り別れようとする私たちに、あくまでも淡々と画面から去り行く義母でした(;´∀`)
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