すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

ノーベル賞受賞の吉野彰氏、プロポーズは拓郎の歌⁈

 

昨日、とあるテレビのワイドショーで。
リチウムイオン電池の開発でノーベル化学賞を受賞した吉野彰氏(72)が
奥さまの久美子さんへのプロポーズの言葉を質問され
「拓郎の歌を贈った」と答えておられて、ビックリした。
その歌とはまさに「結婚しようよ」(1972年)だそう。
そうかーー!
吉野氏は72歳。拓郎世代ではないか。(拓郎は74歳になった)
後にノーベル賞を受賞する若かりし頃の吉野氏が
拓郎の歌を聴いて青春時代を過ごしたのかと思うと
急に身近に感じて嬉しくなった。
拓郎のコンサート、機会があれば是非ご一緒したい。(なんちゃって)

 

「結婚しようよ」  作詞・作曲 吉田拓郎

僕の髪が肩までのびて
君と同じになったら
約束どおり町の教会で
結婚しようよ mmmm

古いギターをポロンと鳴らそう
白いチャペルが見えたら
仲間を呼んで花をもらおう
結婚しようよ mmmm

もうすぐ春がペンキを肩に
お花畑の中を散歩にくるよ

そしたら君は窓をあけて
エクボを見せる僕のために
僕は君をさらいにくるよ
結婚しようよ mmmm

雨が上がって雲のきれ間に
お陽様さんが見えたら
ひざっこぞうをたたいてみるよ
結婚しようよ mmmm

二人で買った緑のシャツを
僕のおうちのベランダに並べて干そう

結婚しようよ僕の髪は
もうすぐ肩までとどくよ

 

こうして歌詞を写しながら
なんとまあ微笑ましい可愛らしい世界であるかと改めて思う。
これはあえて売ろうとして書いた?と思ったら
果たして拓郎はこの曲を「ヒットさせるつもりで作った」と後年述べているそうだ。

「僕の髪が肩までのびて君と同じになったら結婚しよう」という歌詞に
今の若者たちならどんな反応をするのだろう。
あどけなさ満載のこの歌詞が、当時とてもセンセーショナルに受け取られた様に記憶している。
そんなことを言ってプロポーズする男の子は多分いなかったし(今もいないか?)
まして、そんなことをつらつらと歌にする人はいなかった。
そういう意味でも拓郎はパイオニアだったと思う。

「結婚しようよ」を歌っている時、私はまだ拓郎のファンではなかった。
正直言えば「結婚しようよ」という曲にもそれほど思い入れは無かった。

ただ、
単調にも思えるAメロの後
もうすぐ春が~♪ペンキを肩に~♪ お花畑の~中を~散歩に~くるよ♪
のところで、いつも決まってキューンとなる。それは昔から。
展開するメロディラインに叙情的な切なさを覚え、心の中がじわっと熱くなるのだ。
拓郎ファンの方は心当たりがあるだろうが
拓郎の作るメロディには必ず心が熱くなる箇所がある。
それがファンにはたまらない。
拓郎がヒットメーカーたる所以だと思っている。(とここまで書きながら、つまりそれがいわゆるサビであり、たいていの曲にはあるということに気づくけど)

二人で買った~♪緑のシャツを~♪ 僕のおうちの~ベランダに~並べて~干そう♪

パステル画の様な色彩の中で
「愛」を信じキラキラと輝く若い二人を
終始、ブレることなく徹底して描いているのがお見事。
現実世界に半世紀以上いる私には
そんな無垢な世界への感情移入は悲しいかな極めて困難ではあるが(笑)

歌詞そのままに拓郎は1972年6月に最初の奥さまと結婚式を挙げたのだけど
その後いろいろあって、今は女優の森下愛子さんとご夫婦。
実に人生はいろいろあるというものだ。

 

昨日の昼。
カラスくんが何やらくわえて電線にとまった。
大きさと色がビワの実のよう。

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この後、電線の上に食べかけを残し飛んで行った。
しばらくそのままあったけど、今朝にはなくなっていた。
近くの電線にムクドリさん達がとまっていた。さてはおこぼれにあずかった?

 

 

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