すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「頼りになる」と「モテる」、のか?

 

いつも拝読している糸井重里氏のエッセイの中で少し気になる提言を見た。

 

幼稚園児から、少年から、青年から、中年から、ひょっとすると老人にいたるまで

男たちは、ずっと「モテたい」という、とんでもなく太いテーマを抱え格闘している。

 

そんな男たちに糸井さんは言う。

「頼りになる」と「モテる」はほぼ同義である と。

 

過去のじぶんも含めて、男たちよ、バカたちよ。

「モテたい」なら、モテようとがんばってはいけない。

「頼りになる」やつになるしかないのだ。

やっても無理なこと以外で「頼りになる」努力をする。

 

以上が、世界一シンプルな「モテの原理」である、と。

 

「頼りになる」男。

確かに女性が恋愛や結婚の対象に求める理想像の一つだろう。

自分にとってもそうだった。

 

 

ウチの夫、実は「頼りになる」男である。

恋愛中も結婚してからもそうだった。

前を行き引っ張ってくれる。

荷が重いことは引き受けてくれる。

責任感が強く途中で投げ出さない。

ベストを目指してその為の努力をするので、結果は常に(ほぼ)パーフェクト。

子育てに関しても求めれば父親としての役割りを果たしてくれた。

そんなだから、どんな場所でも瞬く間に「頼りになる」人として当てにされる。

職場で、友人間で、親戚内で、地域で。

頼られれば嫌とは言えず、尽力する。

 

「頼りになる」男として、夫が女性にモテたかどうかは知らないが

「頼りになる」人として周囲から求められたのは確かである。

それを「モテる」とするなら

糸井さんの言われる様に、「頼りになる」と「モテる」は同義と言えるかもしれない。

 

 

自分などは末っ子気質そのものの、頼れるならば頼りたい方のズルい人間なので

夫のそういう所が有難かった。

夫の提案には余程の事でない限り下手に逆らわず

夫のしてくれた事には感謝の言葉を決して忘れず

そういった気遣いは必須であるが

それで夫が気分良くやってくれるならどうってことない。

何より、自分がするより仕上がりが良いのだから喜んでお任せする。

例えば、旅行。準備を率先して進めてくれ、旅のしおりなんてのもいつの間にか作成。

夫が立てたプランがハードスケジュールで、ついて行くのにヘトヘトな時もあったが

そのおかげで内容の濃い旅になったのも確か。

やっぱり有難い。

それでいいと思っていた。

 

 

ところがである。

近頃、「頼りになる」夫の「頼りになる」部分にしんどさを覚えるようになった。

前を行き引っ張ってくれるのが、時に強引で独断的に思える。

私はそうしたくないと異論を唱えると気分を害する。

荷が重いことを引き受けてくれた時の「どうだ」のアピール感や「もっと感謝して」感が、時に鬱陶しく感じる。

もちろん感謝もするが、そこまで言われるなら私がする、私でも出来ると思う。

責任感が強く、完璧な結果を導き出すのは素晴らしいが

そんな自分に自信があるので、他人のやる事を信頼しきれないところがある。

特に妻の私に対してそうで、「ふっ」と呆れられたりバカにされたり。

「いいじゃないの、私の自由にさせて」と思うのだ。

 

多分、夫はずっと変わっていない。

私の受け取り方が変わったのだろうと思う。

なので夫が悪いわけではない。

「頼りになる」夫にずいぶんと助けられて来たのに

ここに来て、あーだこーだとイチャモンつける私がイケナイのだ。はい。

 

 

それはよーーくわかった上で。

 

自分がパートナーに一番に求めるのは果たして何なんだろう?と改めて考えるのである。

「頼りになる」ことは言うまでもなく素敵である。

けれど、それが自分にとって一番なのかなぁと考えたのだった。

 

何度も言う。

「頼りになる」夫に支えられ感謝しているのは間違いない。

(誰に言い訳してる?( ̄▽ ̄;))

 

 

ところで、エッセイの最後、糸井さんはこう書いている。

 

ただし、「モテる」と「愛される」は別だからね!

 

どういう意味か、深く知りたいところだ。

 

 

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