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ジブリ映画『コクリコ坂から』と主題歌「さよならの夏~コクリコ坂から~」

 

今週のお題】「夏うた」でもう一つ頭に浮かんだ曲がある。

スタジオジブリの映画コクリコ坂からの主題歌

 

「さよならの夏~コクリコ坂から~」

 

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映画コクリコ坂から(2011年)はずい分とヒットしたのでご存じの人も多いだろう。

企画・脚本/宮崎駿 監督/宮崎吾朗 音楽/武部聡志

舞台は1963年の横浜。
港の見える丘にある“コクリコ荘”という下宿屋を切り盛りする16歳の少女“海”
彼女は毎朝、海に向かって安全な航行を祈るための信号旗をあげる。
タグボートで通学していた17歳の少年“俊”は、海の上からいつもその旗を見ていた。
そして、お返しのように旗をあげるのだった。
そうして始まった物語。。

翌年に東京オリンピックを控え、
人々は古いものはすべて壊し、新しいものだけが素晴らしいと信じていた。
そんな時代に、横浜のとある高校で、小さな紛争が起きていた。
古いけれど、歴史と思い出のつまった文化部部室の建物、通称カルチェラタン
それを取り壊すべきか、保存すべきか。
そんな事件の中で海と俊は出会う。
俊はその建物を守ろうと学生たちに訴える。海はその建物の良さを知ってもらおうと大掃除を提案する。(公式ホームページより)

徐々に惹かれあう海と俊だったが、ある事実が発覚する。
そして二人は…。

 

コクリコ坂から』で物語を印象的に演出した幾つかの楽曲。
特に「さよならの夏~コクリコ坂から~」には激しく惹かれ、今やカラオケの定番である。
当時、テレビなどで手嶌葵さんの歌声がよく流れていた。
実はこの歌、ずい分昔に森山良子さんや倍賞千恵子さんによって歌われていたらしい。
映画を作るにあたり、監督の宮崎吾朗さんの発案で葵さんが歌うことになったそうだ。
森山さんや倍賞さんの歌声を聴いてみて、その歌声はさすがに美しく素晴らしかったが
個人的には、『コクリコ坂から』では手嶌葵さんが歌って正解だったと思う。

挿入歌である上を向いて歩こう坂本九ちゃんの歌声にはグッときた。
まさしく“昭和”。自分がちっちゃな子どもだった頃が蘇る。

同じく挿入歌で「白い花の咲く頃」。
全校集会の場面で、生徒会長が口火を切り生徒全員で歌うその歌なのだが
どうやらどこかで聞いたことのある歌なのだ。
調べてみたら、昭和25年岡本敦郎さん(と言っても存じ上げないのだが…)によって歌われた歌謡曲

白い花が咲いてた
ふるさとの遠い夢の日
さよならと言ったら
黙ってうつむいてた お下げ髪・・   

多分、父や母が歌っていたのを聞いていたのだと思う。これも“昭和”の香りがする楽曲だ。

そしてもう一つ、心に強く響いたのが「紺色のうねりが」だった。
ラストに近づき、やはりこの歌も生徒皆で合唱するのである。 
カルチェラタン”の中で。
宮沢賢治の詩『生徒諸君に寄せる』に触発を受けて、
1番の歌詞を宮崎駿さん、2番の歌詞を宮崎吾朗さんが作詞したということだ。

 

映画の中で描かれる“昭和”の街並みや暮らしぶりのリアルさにもいつもながら驚かされ、懐かしさで一杯になる。
例えば、
細い道路の両側にひしめき合うように並ぶ小さな商店や
その店のそれぞれに掲げられている大きく名前が書かれた看板や
そんな商店街を行き交う人たちもいかにも“昭和”のひとである。
木製の電柱が立ち、オート三輪が走り
そして今では信じられないけれど、工場の煙突から吐き出されるいかにも有毒な煙が空を覆うのも、その頃の“昭和”を象徴している。
港に入る貨物船やはしけやそこで働く人たちの様子は
子どもの頃(当然、“昭和”である)帰省する度に神戸の港で見たその風景だ。

しかし、
もっと懐かしく感じたのは主人公たちの高校生活だった。
物語の時代を考えれば、彼らは自分よりも一回りほど上の年齢であり、その背景も異なるのだろうが
ああ、だけど自分も同じように高校生活を送ってきたなぁと、心を熱くさせられるのだ。

物語の中で重要な立ち位置を担う“カルチェラタン”は文化部部室が入る建物である。
私が通った高校にも、そんな洒落た名前こそついていなかったけれど
運動部のための部室棟が50メートルプールに沿ってあった。
階段を4、5段降り、横一列に並ぶ部室(20余りあっただろうか)の前を通り、それぞれの部屋へと向かうわけだが
おそらく何らかの配慮があったと思われ、手前に男子、奥の方に女子の部室となっていた。
そうなると、我々女子は男子の部室の前を常に通ることとなり
ドアや窓を開けっぱなしで着替えている露わな姿を見せつけられたり、汗臭い空気を吸わされたり。
なので出来るだけよそ見をせず、息を止めて急ぎ足で通り抜けたものだった。
そんな中でも、憧れの先輩と狭い通路ですれ違うというチャンスに遭遇することもあり
結果が良くも悪くも、いつも少々の胸の高鳴りを覚えながら通った部室前通路だったのだ。
また、物語には生徒による全校集会や教師との対立の場面もあったが
私の高校も、生徒が自由にものを言い、必要とあらば教師とも対等に語り合い、時には闘う、そんな学校だった。
一律に決められた制服を着用するべしという校則を廃止し
各々の自主性に任せると学校側に認めさせたのは少し上の先輩たち。
その後、私服もあり、オリジナルの制服風もあり、やっぱり学ランだぜ!ときっちり詰め襟もあり。
制服を廃止したからと言って皆が皆、私服にならなくたっていいんだよ、というのが好きだった。
己の自由を貫き、他者の自由も尊重する。
自由である分、大人と同様の責任や意識も求められた。
そんな高校だった。
そんな高校生活を送ったのだった。

 

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