すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

兄の気の毒な一日

 

先週、両親と祖母の法要に参列するため、名古屋まで出かけた。

名古屋は父の転勤に伴い10年間暮らした場所。

私は2歳から12歳までの子ども時代を過ごし、

思い出の中には古き良き昭和の原風景や原体験が詰まっている。

名古屋市内を車で移動中、「今池」という名の交差点に差し掛かり、

懐かしく思い出すことがあった。

 

4歳上の兄が中学1年生の時のこと。

その日、兄は母に言われて名古屋駅まで電車の切符を買いに行っていた。

数日後の旅行の為の切符。

近所の3家族で一緒に行く天橋立への旅行だが、兄は行かない。

けれど、兄がひとりで切符を買いに行かされたのだ。

何故そうなったか憶えていないが、おそらく兄は渋々であったろうと思う。

家から名古屋駅までは当時、市バスに乗って行った。

確か、30分以上、小1時間はかかったと思う。

兄が駅の窓口で人数分の切符を買い求めたところ、

お金がすっかりなくなってしまい、帰りのバス代が残らなかったらしい。

母の計算間違いで、きちんと必要な金額を持たせていなかったのだ。

困った兄は、一緒に旅行に行く予定の、且つ、唯一電話のあった家に電話をかけてきた。

我が家にはまだ電話が無かったのだ。

ところが、電話に出たのは兄より一つ年下の小学6年生。

お母さんはいないと言うので、仕方なくその子に

今、駅だけど、バス代が無くなったのでお金を持って迎えに来てと伝えて」

と言ったそうだ。

それでその子は母に伝えに来てくれたのだが、その伝言が

今池だけど、お金持って迎えに来て」

に変わったことを、兄は知らなかった。

「今、駅だけど」今池(いまいけ)だけど」になったのだ。

今池なら家からそれほど遠くなく、

お金が無いなら歩いて帰ってくればいいのにどうしたんだろうと母は言った。

私が名乗りを上げて、今池まで市電で迎えに行くことにした。

その時私は小学3年生で、ひとりで市電に乗るのは初めてだったけど、

一刻も早く兄を迎えに行ってあげたかったのだ。

しかし、その時兄は今池にいるはずもなく、名古屋駅にいた。

今池で市電を降りて、そこにいるはずの兄を捜したけど姿は無く、

大きな交差点を何度もぐるぐる回って兄を捜した。

けっこうな時間今池で歩き回ったが、兄と会うことが出来ず、疲れて家に戻った。

母は心配を隠しながら怒っていたし、近所の人達も申し訳ないと心配していた。

私も兄がどうしているのかと思うと心配で腹立たしく、可哀そうで仕方なかった。

名古屋駅でしばらく待っていた兄だったけど、

自分なりに予想していた迎えの時間がとうに過ぎてしまい、

結局、歩いて家まで帰ってきた。

どれぐらいの時間がかかったのか、兄は疲れ果てていた。

しかも、母に事情を説明したものの、母も近所の人達への手前もあったのだろうが、

「今、駅じゃなくて、今、名古屋駅にいると言えばよかったのに!」とか、

「タクシーででも帰って来て、家で料金払えばよかったでしょ!」などと言われ、

ふて腐れ、部屋に籠った兄。

そりゃそうだ。

まあ、中学1年にもなればもう少し要領良く機転を利かすことも出来たのかもしれないが、

そもそも、母がきちんとお金を持たせていればこんなことにはならなかった。

にもかかわらず、その母に「しっかり頭を使いなさい!」と説教されるなんて。

本当に気の毒な兄の一日だった。

 

夫のカラオケ十八番「ふりむかないで」に、“雨の今池小さなスナック”のフレーズがある。

夫のイメージでは飲み屋が立ち並ぶ繁華街だったようで、

確かに今はすっかり賑やかな交差点になっているが、

半世紀も前、幼かった私が兄を探して歩き回った今池は、

今ほど賑やかでなく、人の通りもそれほどでなかったように憶えている。

交差点を何かを探しながらぐるぐると回り続ける女の子のこと、

誰かが見ていたらさぞ不思議だったろう(笑)

 

 

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兄、7歳 私、3歳(くらい?) 

 

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