本、読みました。 なかなか衝撃的なタイトルでしょう?(イラストが可愛い(*´ω`*))
「ひきこもれ ひとりの時間をもつということ」 吉本隆明
「ひきこもり」はよくない。ひきこもっている奴は、何とかして社会に引っ張り出したほうがいい。そうした考えに、ぼくは到底賛同することができません。世の中に出張っていくことがそんなにいいこととは、どうしても思えない。家に一人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。まわりからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことがどんな職業にもかならず必要なのだとぼくは思います。
目次を紹介しますと、
第1章 若者たちよ、ひきこもれ――コミュニケーション能力を過大視するな
第2章 不登校について考える――「偽の厳粛さ」を子どもは見抜く
第3章 子どものいじめ、そして死について――「傷ついた親」が「傷つく子ども」をつくる
第4章 ぼくもひきこもりだった――きらめく才能よりも、持続する力が大事
第5章 ひきこもりから社会が見える――ぼくがいま考えていること
「ひとりの時間を持つということ」
「分断されない、ひとまとまりの時間を持つということ」
その重要性を平易な言葉で解明してくれています。
読んだ本について記事にする際、自分なりの考察や感想を稚拙ながらも伝えようとするわけですが、
この本に関してはそれらを伝えるのは全くもって余計なお世話な気がして、
あえて何も書かないでおこうと思いました。
まっさらなまま、それぞれがそれぞれの価値観や感性で著者の考えに触れて欲しいなぁと、
何故でしょう、思うのです。
「ひきこもれ」
ある意味、この国の“常識”の逆を行く、眼がカッと開くような、心に風穴が開くような。
それをどう捉え、どう考えるか。
それぞれなんだろうと予想されます。
著者の吉本隆明(よしもとたかあき)さんは、1924年、東京・月島生まれ。
思想家、詩人、文芸批評家。
東京工業大学電気化学科卒業。
工場に勤務しながら詩作や評論活動を続け、文学、社会、政治からテレビ、料理、ネコの世話まであらゆる事象を扱う「戦後思想界の巨人」と呼ばれる。
2003年、『夏目漱石を読む』で小林秀雄賞受賞。著書に『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』『ハイ・イメージ論』『カール・マルクス』『悪人正機』『ひきこもれ』『日本語のゆくえ』『吉本隆明が語る親鸞』『開店休業』『フランシス子へ』などがある。
って、本の最後に紹介されていた著者略歴をそのまま写してみました。
吉本隆明さんの書かれたものは今まで全く読んだことがなく、
ですから著書名を写すだけでも難解で、時間がかかったーー(*_*;
それでも、思想家でいらっしゃることと、作家の吉本ばななさんのお父上ということは知っていました。
ばななさんの本は大好きで何冊も読んでいますが、
吉本隆明さんは多分とても難しい。自分の脳みそじゃ手も足も出ない。
端から諦めてチャレンジしたことは一度もありませんでした。
ところがこの本は非常に読みやすかった。
それはお伝えしておきます( ̄▽ ̄)
最後に、少し長いですが本文より引用させていただきます。
ひきこもって、何かを考えて、そこで得たものというのは、「価値」という概念にぴたりと当てはまります。価値というものは、そこでしか増殖しません。
(略)
ひきこもりの傾向のある人は、暗いとか話が盛り上がらないとか、あいつと一緒にいても気心が知れなくて面白くないとか、そんなことを言われているかもしれません。もし、それがコンプレックスになっている人がいたとしたら、それは決して悪いことではないのだということを覚えておいてください。
あなたは、明るくて社交的ではないかわりに、考えること、感じて自分で内密にふくらませることに関しては、人より余計にやっているのです。それは、毎日毎日、価値を生んでいるということなのです。
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