すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

筒美京平さん、ありがとうございました

 

作曲家、筒美京平さんが亡くなられました。享年80歳。

テレビでそれを聞いた時、ひどく驚いて、しばし呆然としてしまいました。

いつもいつも筒美さんのことが頭にあったわけではないのに、喪失感が瞬時にやってきて

そうだよね、そりゃいつかはそうだよね…と思いつつも

自分にとって懐かしく愛しい時代がまた一つ遠くに行ってしまったようで

寂しさと切なさを感じずにはいられませんでした。

 

訃報を伝えるニュースで、私はそのお顔を初めて知りました。

稀代のヒットメーカーとして昭和の時代から膨大な数の歌を発表し続けてきた彼ですが

個人的には筒美京平という人をメディアで見たことは一度もなく

筒美京平という名前と共にとてもミステリアスな存在でした。

けれど、それとは真逆に彼が作った歌は自分の周辺にいつも在り、こんなにも知っている。

彼の業績を伝える映像を観ながら改めて思い知るのです。

 

1960年代 、初のオリコン第1位となった「ブルー・ライト・ヨコハマ」。歌はいしだあゆみさん。

あの頃の子どもはちょっとセクシーな歌謡曲でさえあどけなく声高らかに歌ったものですが(私だけ?)

この歌の軽くお洒落な感じが子ども心にもイカシテテ、小学生だった私はどれほど歌ったことか。

ちょっと調べてみると、当時大流行したグループサウンズの曲も作られていて

ヴィレッジ・シンガーズの「バラ色の雲」やオックスの「ガール・フレンド」「スワンの涙」など。

ずい分と子どもだったのに、美しく切ない旋律に初めて「セツナイ」という感情を意識したものでした。

筒美さんの作曲だったのですね。

片や、底抜けに明るい「サザエさん」のテーマソングも。

 

1970年代、日本レコード大賞を受賞した「また逢う日まで」。歌は尾崎紀世彦さん。

当時、この歌が日本中を席巻したと言っても過言ではないのでは。

ドラマチックな旋律に尾崎さんのパワフルな歌声が乗って、聴くこちらの心も震えました。

新御三家や女性アイドルが次々と登場した時代です。特に思い出深いものを並べてみますと、

郷ひろみさん、「男の子女の子」「裸のビーナス」「花とみつばち」「よろしく哀愁

野口五郎さん、「青いリンゴ」「甘い生活」は今でも夫のカラオケの定番。

南沙織さん、「17才」「哀愁のページ」「傷つく世代」「色づく街」

麻丘めぐみさん、「芽ばえ」「わたしの彼は左きき」「ときめき」

浅田美代子さんの「赤い風船」は中学校の修学旅行でバスの中で歌った思い出の歌。

アヤシク揺れる美代ちゃんの歌声に似ていると言われ、内心複雑でした(笑)

太田裕美さん、「雨だれ」「木綿のハンカチーフ」「赤いハイヒール」「最後の一葉」

岩崎宏美さん、「二重唱(デュエット)」「ロマンス」「センチメンタル」「ファンタジー」「ドリーム」「シンデレラ・ハネムーン」

そして、ジュディ・オングさんが歌った「魅せられて」。こちらも日本レコード大賞受賞曲。

Wind is blowing from the Aegean~♪

盛り上がるサビへと向かうジュディさんの振り付け。多くの人が真似したのでは。

他にも、平山三紀さんが歌った「真夏の出来事」、堺正章さんの「さらば恋人」、リンリン・ランランの「恋のインディアン人形」なども印象的で、好きでしたねぇ。

 

1980年代、いわゆる80年代アイドルにも多くの楽曲を提供されました。

近藤真彦さん、田原俊彦さん、松本伊代さん、早見優さん、小泉今日子さん、河合奈保子さん、斉藤由貴さん、中山美穂さん、本田美奈子さん、少年隊、などなど……。

数が多過ぎて書き並べるのを諦めましたが、これもそうか、あれもそうだったのかと、ヒット曲のオンパレードです。

と言いながらやっぱり書きたい。

マッチの「スニーカーぶる~す」「ギンギラギンにさりげなく」

トシちゃんの「原宿キッス」

伊代ちゃんの「センチメンタル・ジャーニー

優ちゃんの「夏色のナンシー

キョンキョンの「まっ赤な女の子」「ヤマトナデシコ七変化」「なんてったってアイドル」「夜明けのMEW

河合奈保子ちゃんの「エスカレーション」

斉藤由貴ちゃんの「卒業」

ミポリンの「ツイてるねノッてるね」「WAKU WAKUさせて」

本田美奈子ちゃんの「1986年のマリリン

少年隊は「仮面舞踏会」「君だけに」

もっともっといっぱいあるけど、これぐらいで。

他に、稲垣潤一さんの「ドラマティック・レイン」や「夏のクラクション」

C-C-Bの「Romanticが止まらない」なども名曲でした。

 

1990年代以降、SMAPKinki KidsTOKIOといったジャニーズのグループにも曲を提供。

また、NOKKOが歌った名曲「人魚」も筒美さんが作られたですね。

今回知ったことでした。

 

 

あまりにも数が多過ぎて筒美京平さんの作られた楽曲を網羅することなどとてもできませんが

自分なりに彼の楽曲を振り返る中で

いわゆる「筒美節」みたいな、決まったフレーズというか、雰囲気というか、そういうものが無いと思うのです。

例えば、拓郎は彼の歌のどこかに「拓郎だ」と思えるフレーズを感じることが出来、ファンである自分はそこがたまらなかったりします。

中島みゆきさんやユーミンの歌にもそれを感じます。

今なら、米津玄師さんもそうで、知らなかった曲を聴いて「あ、これもしかしたら」と思ったらやっぱり彼の歌だったということがあります。

自分で曲を作り歌う人の楽曲に、その人の個性が投影されるのは当然でしょうし

それはファンにとって心地よくもあります。そこが好きっていうこともあるでしょう。

筒美京平さんはシンガーソングライターではありませんでしたが

半世紀を超えてこれだけの数の作曲をしてきたのですから、ちょっと似通っている、悪い言葉で言えばマンネリ化しても不思議ではないと思うのですが

それが無いことに改めて驚くのです。

楽曲のどれもがそれぞれにきちんと個性的で、その曲ならではの瑞々しい色を輝かせている。

 

「この歌、誰々っぽいね。あ、やっぱりそうだった」ではなく

「この歌、なんかイイね。あれ⁉、また筒美京平さんの作曲だ!」みたいなこと、よくありましたよ。

 

音楽的なことを何も知らないで言ってしまいますが

ひとつひとつの「詩」の世界を一番ベストな状態で表そうとする作曲家としての稀有な発想力や技術力はもちろんのこと

その為に、ひとつひとつの「詩」が伝えようとする思いや情感により近くより深く向き合う真剣な姿勢が

ひとつひとつがそれぞれに素晴らしい多くの楽曲を生み出してきたのではと

全く恐れ多い物言いですが、そう思うわけです。

 

 

「ブルー・ライト・ヨコハマ」を口ずさんでいた幼い頃から、筒美京平さんの歌は本当にいつも身近にありました。

半世紀を超えた今も、テレビドラマやCM、ラジオなど何かの折に耳にするとたいてい一緒に歌っています。

カラオケなどでも歌いますが、歌いながら旋律の美しさに改めて気づかされます。

そして、「詩」の世界がまさにリアルにドラマチックに「音」で描かれていることを実感するのです。

だから私たちの心に沁み込むのでしょうか。

 

 

筒美京平さん、ありがとうございました。

あなたの歌を聴いて昭和時代を過ごしたこと、

かけがえのない思い出として、これからも私を温めてくれることと思います。

どうぞ、安らかに。

 

 

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一時期、いしだあゆみさんにすこーし似ていると言われたことありました。

今は全然です( ̄ー ̄;)
 

 

思い入れが深過ぎて、長々とまとまりなく書き連ねてしまいました。

申し訳ありません(;^ω^)

 

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