すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「高砂人形」と「市松人形」、お出まし~

 

娘たちの引越しに触発され、引越しするわけでもないのに断捨離に取り掛かった私。

そう言うと末っ子が

「えーー⁉まだ何を断捨離すると言うの?」と驚きました。

「あんなに片付いてるのにーー!」とも。

ちなみに、片付けられない女子の末っ子は汚部屋の住人。

あなたの❝片付いてる❞基準で高評価されてもねぇ…と心の声。

 

確かに、転勤族だった我が家は、これまで何度かの引越しで、自ずと不用品は処分することになりましたし、

更に、いつ言われるか分からない転勤命令に備え、身軽に引越し出来るようあまり物を増やさないようにと心がけてきたというのもあります。

押し入れやクローゼットの中身は何度も荷造りしては出し、荷解きしては収納しを繰り返してきたので、

その過程で淘汰され、まあまあ必要な物が残ってきたという感じです。

また、義実家の片付けで本当に大変な思いをしたので、

私たちが年老いたり亡くなった後娘たちに迷惑をかけないように始末しておきたいという考えもあり、

まあ、つまりはお金が無くてあれこれ買えなかったというのが一番ですが、

あまり物が無い家かもしれません。

それを片付いていると言えば片付いているのかな(苦笑)。

 

それでも今、改めて覗いてみると

自分のアンテナにビビッと来る不用品が見える見える。

主に自分の、これはもう今や要らないでしょうという物です。

押し入れの中やチェストの引き出しがスッキリしました。

 

 

実は今回の断捨離の主目的は人形類でした。

義両親が次女と三女の初節句に贈ってくれたガラスケース入りのお人形です。

長女の初節句には私の親がお雛飾りを贈ってくれました。

お内裏様とお雛様だけのお飾りでしたが、次女も三女も一緒に楽しめばいいと、

それぞれのお雛様は要らないねと言っていたのですが、

義父が買ってやりたいと言ってくれて。

次女には高砂人形」というおじいさんとおばあさんのお人形。

(何故におじいさんとおばあさん?と不思議でしたが、とてもお目出たいのだそう)

三女には「市松人形」を。

次女や三女に何も無いのは可哀想と思ってくれたのでしょう。

有難い有難い義父の気持ちでした。

しかーし、

当時、狭いアパート住まいで、大きなガラスケースに入ったお人形たちは正直場所を取る。

しかも、長女のお雛様の様にコンパクトに収納も出来ないので、年中出しっ放しの場所取りっ放し。

そのうち埃を被るようになり、娘たちの幼稚園バッグが無造作に置かれるようになり。

引越しの度にさて何処に鎮座させるかと頭を捻るのも申し訳ないけどちょっと厄介でした。

 

何回目かの引越しで今の家(自宅)に戻り、何年か経過した後、

多分、娘たちの自立のタイミングだったと思いますが、

ガラスケースごと押し入れに仕舞ったのでした。

それにしたって押し入れの中でけっこうなスペースを取るわけですが、

ともかく部屋をスッキリと見せたかった。

物があれこれと出ていないスッキリとシンプルな部屋。

ちょうどそういったライフスタイルが流行り始める頃でもありましたが、

自分的に落ち着く心地よい空間を求めようとしたのでした。

 

それから何年経ったか…。

唐突に訪れた今回のMy断捨離ブームに、

押し入れの奥でお眠りいただいていたお人形たちを、さてどうしようかと思ってしまったんですね。

こんな所にいつまでも置いたまま、飾るつもりも無いのに、なんて申し訳ない。バチ当たりな。

ああ、人形供養にお出ししてきちんとお見送りしよう。

そうだ、そうしようと、思ってしまったんですよね。

せめて丁寧に供養してもらえる所はと調べたり、お金はかかってもケチらずにとか、

いろいろ考えてお願いする先を決めて。

発送も可ということだけど、いえいえ自ら持ち込んで手から手へお渡ししお願いしようと、

後はその日を待つだけだったのですが…。

 

押し入れから出されて、廊下で静かに待っているお人形たちのお顔を見ていると、急に愛しくて堪らなくなったのです。

幸か不幸かずっとお隠れになっていたので、日焼けによる色あせや汚れが無く、

高砂人形のおじいさんもおばあさんも本当に綺麗で、清らかでさえある佇まい。

市松人形さんはおちょぼ口が愛らしく、前髪パッツンの長い黒髪は幼い頃の末っ子を思い出しました。

ああ、どうしよう!(*_*;

供養って言うけど、つまりは捨てるってことでしょ。

おのれの心が責められて、いや~~~💦捨てられない!!

 

 

というわけで、

 

高砂人形」と「市松人形」、再び飾ることにしました(*´ω`*)

突然のことですので部屋のトータルコーディネイト的に微妙な違和感はありますが、

お人形たちの命を救えて良かったという安堵感と共に、自分自身満たされる気分です。

子供時代、外遊びばかりで特別に愛着のある人形が無かった私にとって、

そういう思い入れを人形に抱くのはあまり有ることではなく、ちょっとびっくり。

末っ子が幼い頃からのたくさんのぬいぐるみを未だに手離せない気持ちが初めて理解でき、

「古くなったぬいぐるみは捨てなさ~い」と捨てさせていたこと、今さらながら可哀想だったなと後悔するのでした。

 

 

ところで、高砂人形」

ちょっと調べてみましたら、長寿夫婦円満の縁起物だそうです。

尉(じょう=おじいさん)が持つ熊手には「福をかき集める(財運)」、姥(うば=おばあさん)が持つ箒には「邪気を払う(魔除け)」の意味があり、これは「夫婦ともに助け合い、夫が福(財)を集め、妻が家庭を守り整える」の意味につながるとのこと。

 

何とこれは、今まさに私たち夫婦にこそ必要なお人形ではありませんか。

あの時は次女に贈られたのだけど。

ああ、そういうことだったのかも。

そういうことで、今このタイミングで私たちの前に又お出ましになることになったのかも、と不思議な気持ちになりました。

もしかしたら義父は、今の私たちを見通して、

「助け合って仲良くやりなさい」と教えてくれる為に「高砂人形」を贈ってくれたのかもしれませんね(;^ω^)

 

 

孫たちを本当に可愛がってくれた義父でした。

義父が丹念に選んでくれたでしょうお人形たちのお顔をしみじみ拝見し、

改めて感謝したい気持ちになりました。

 

 

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