前記事の続きですが、
遊びの邪魔ばかりをする小さな弟の顔を引っ掻いてしまったお兄ちゃん。
もちろん弟くんが悪いけど顔を引っ掻くのはダメだよと諭すように言いながら、
じゃあ何なら良いのか、どんなふうにすれば良かったのか、ばあばにもわからなくて、
お兄ちゃんに言ってあげられませんでした。
ママやばあばは弟のことを叱ったけど、ボクのことも叱った
弟があんなことしなかったら、ボクだってあんなことしなかった
多分お兄ちゃんは自分がしたことを100パーセント正しいとは思っていないでしょう。
でも、叱られたことに100パーセント納得してもいないのだろうなと思います。
そりゃそうだよね。
暴力はいけない
それはわかるよ
じゃあ、どうすればいいの?
弟がボクの嫌がることするの、どうやって止めさせたらいいの?
身に降りかかる理不尽に、ただ我慢しなさいじゃ可哀想過ぎる。
そんなこと、大人は我慢出来る?
大人でも難しいこと、小さい人に求めるってどうなんだろうと思ってしまう。
大人だったら言葉で対抗も出来るけど、そんな言葉をまだ持たない小さい人はどうすればいい?
って、ちょっと問題提起したふうですが、
結局、これ!といった提言、提案を捻り出せないばあばです。
今度またそういうことがあったら、お兄ちゃんが怒りの鉄拳を振るう前に間に割って入り、
弟くんに一人の人間として膝突き合わせて物事の道理を話してみようかなと。
まあ、聴かないだろうなぁ(苦笑)
そうやっていろいろあって小さい人たちは大きくなっていくとすれば、
余計なお世話かもしれませんが(;^ω^)
話は少し変わりますが、前から思っていたんですよね。
常に人には優しく、相手を許し、我慢強く、それらを学ぶことで、人として立派な人間になる。
そんな人になって欲しいと親は我が子を育て、社会の中でもそうであれと教えられる小さい人たち。
でもそれって、親は出来ている?社会の大人たちは出来ている?って。
公園で小さい人たちが遊んでいると様々な場面があります。
新しく買ってもらったお砂場の道具。今日はこれで遊ぶ!って楽しみにして出かけたら、早速お友達が「貸してー」って持っていこうとするの。
「ダメーー!」って取り返したらお友達が泣いちゃって。ママが「貸してあげなさい!」って言うの。
「イヤ!ワタシが使うの」って言ったらママが「そんな意地悪言うならもう家に帰ります。公園ではみんなで仲良くしなきゃダメでしょ!」って。
「イイよって貸してあげなさい」って言うから、本当は嫌だったけど「イイよー」って言ったの。
これってなかなかハードに我慢を強いられていますよね。
大人の世界でこれはなかなか有り得ない。
新しく買ったバッグ。いろいろ選んでやっと見つけたお気に入り。
自分が初めて使う前に人に貸してあげるって、そうそう出来ないでしょう。
だけどみんなで仲良くが鉄則だから貸してあげなきゃダメなんです。「イイよー」って。
ね、なかなかにキツクないですか?
公園の滑り台。知らないお友達とも順番守って滑ります。
滑り降りた後、下から登ろうとしたらママが「下からはダメよ。上から降りて来るお友達の邪魔になるでしょ」
そうか、と思ってまた列の後ろに並びます。
ボクの番になって滑ろうとしたら下から登って来るお友達が。
「ダメだよー」って言ったけどお構いなしに来るんだ。ママの方を見たら苦笑いで何も言わない。
そのうち後ろのお友達に押されて滑り降りちゃったらママに「危ないでしょ!」ってボクが怒られた。
順番を守らないで横入りするお友達もいて、ボクが「ダメだよ」って言いながら入るのを阻止しようとしたら、「いいから。意地悪しないで入れてあげなさい」ってママ。
これって意地悪なの?
これもまたなかなかにストレス満載の、ボクにしてみれば意味の解らない状況。
まさに、やったもん勝ち。
これに関しては大人の世界でも有る有るでしょうか。
そんな世界でストレスを抱え病む大人たちの何と多いことか。
どんな時もどんな人にも常に優しく
寛大な心で人を許し、自らに我慢を強い、受け入れる
大人たちは自分たちのことは棚に上げ、そうであれと小さい人たちに求めます。
そんな大げさな話じゃないでしょと言われるかもしれませんが、
大人から見れば些細なことも小さい人の世界では究極の大問題だったりするでしょう。
それを「我慢しなさーい」「イイよって言いなさーい」って、その言葉で終わらせられる理不尽に耐える小さい人たち。
彼らの大いなる成長を願ってのことであるにしても、
大人だって出来ないことを求めているって、せめて心の何処かに留めて、
小さい人の気持ちを理解してあげたいなぁと思うのです。
いやーー、小さい人たち。頑張っていますよ。
たまには頑張れなくたっていいじゃない。
頑張らなくたっていいじゃない。
そんなふうに思っちゃうんですよね。
学生の頃、社会教育学の講義で、ある教育者の言葉に感銘を受けたことがあります。
「子供は子供ではない。小さい一人の人である」
子供は「子供」という大人より劣る存在ではなく
体は小さいけれど「人」として確立された「小さい人」である、といった内容でした。
「小さい人」の頑張りにいつも敬意を表したくなる「年老いた大きい人」です。
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