10年近く前のことです。
新聞の求人広告のページに「仕事力」というタイトルのコラムが掲載されていて、
これから社会に出て仕事をするであろう若者や、今、仕事を探している人に向け、
様々な分野の先輩からの説得力あるアドバイスやヒントが寄せられていました。
その中のお一人、ファッションデザイナーのコシノジュンコさんの言葉に、
当時の自分は痛く刺激を受け、書き留めていました。
少し長いですが紹介させていただきます。
題して「コンプレックスの効能」
コシノジュンコさんにとって生まれ故郷の言葉、岸和田弁はコンプレックスだったそうです。
(前略)
18歳で上京して文化服装学院に入学した時から、強い方言のために笑われ、恥ずかしく、私は人と交流することを避けて口を閉ざしました。そして半年間ひたすら黙々と絵を描いた。
19歳の若さで異例の装苑賞を受賞出来たのはその悔しさのおかげでしょう(笑)。
周囲に認められた瞬間から、あれほどコンプレックスだった岸和田弁が私の個性の一つになり、どれほど嫌なものでも乗り越えられる時が来ることを知りました。それからは怖いもの知らずになりましたね(笑)。
コンプレックスは、人には分からない非常に強い感情なので、自分のオリジナリティーを内側から支える利点を持っているのです。
だから逆にはっきりと意識したほうがいい。
ファッションの仕事で、私はモデルたちに囲まれます。180センチを超える長身で、美しい顔立ちのモデルたちにずらりと囲まれた谷間に入っていくのは、小柄な私にとって決してうれしいことではない(笑)。でもコシノジュンコは身長で勝負しているわけではないし、容姿で勝負しているわけでもない。
だから私は私、クリエーションが勝負の場所なのだからと平気な顔が出来るのです。
若い時には、私も本当に自分のことが分かりませんでしたが、現代の人も「何が自分らしい」のか分からないままのように見えます。
その自分らしさの森に分け入っていくには物差しが必要ですが、まずは何に憧れているかを確かめていって欲しい。
引かれるもの、美しく好ましいと感じるもの、何度見ても飽きないもの、心が躍る映画や人。
そこには自分と直結する何かが必ず潜んでいる。
美術やファッション、建築などでもそうですが、ずっと追い求めていくと自分の一定の嗜好に気づきます。
あなたの個性が共感する場所ですね。
憧れを持って生きていると、アンテナが鋭敏になっていき、出会った人にハッとする瞬間があります。
「ああ、業界で名の知れた方ね」ではなくて、「自分が会いたかった人だ」と直感するようになる。
こういうピンとくる、ハッとするという体験が、ぼんやりとしか分からない「自分らしさ」にスイッチを入れ、自分の知らない自分の目を覚まさせてくれます。
どのような仕事でも「個」が大切だと私が思うのは、コンプレックスもひっくるめて、人が持っている全ての力を出し切れる根源がそこにあるからです。
コンプレックスには自分のオリジナリティーを内側から支える利点がある!
コンプレックス、つまりそれは「個」であり、そこには持っている全ての力を出し切れる根源がある!
だから逆にはっきり意識しよう!
「コンプレックス」を利点と捉える発想。
そして「自分らしさ」の見つけ方、スイッチの入れ方についても、思いもしない方向からのアプローチ。
頭ガーン!目から鱗でした。
ただ、正直なところ、
伝えてくださろうとすることを思い描き、
まさしくコンプレックスと格闘し続ける自分の場合はと想像するものの、
これぞという明確な心開かれるものが掴めたわけではなく、
己のコンプレックスにどんな効能があるのか、またあったのか、
残念ながら、当時は解るには至らなかったように思います。
それでもいつの日か、そんなことがあるのかもと、前向きな気持ちに引っ張り上げてくれる。
自分にとってそんな言葉でした。
私は物心がつき、記憶のある頃から既に大きなコンプレックスを抱える人間でした。
解決しようのないコンプレックスに苦しみ続けましたが、
50歳を超え、コシノジュンコさんの言葉に触れた時、
最も苦しんだ思春期の自分にそれを教えてやりたかったなぁと切なくもありました。
コンプレックスがいつか利点になり得る瞬間があること
コンプレックスがあっても自分次第で「自分らしさ」に昇華できること
コンプレックス歴も還暦を過ぎると、もうどうでもいいような、それが自分だと諦めもつくわけですが、
それでも心の何処かで時々ジタバタする思いもあるわけで。
今回再びコシノジュンコさんの言葉に励まされるのでした。
あ、私の「コンプレックスの効能」。
おかげで、こんな私の周りにずっといてくれる人は皆いい人だということでしょうか(*´▽`*)
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