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「夫が倒れた!献身プレイが始まった」野田敦子

 

「夫が倒れた!献身プレイが始まった」

 

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献身プレイ⁈ センセーショナルな匂いのするタイトルである。果たして…。

 

夫が突然倒れた、姑や舅が要介護になったら、妻や嫁が自宅で介護するものだとも思われてきた。それらのまじめに介護してきた多くの方々の記録はこれまでにも本となった。

でも本書では、介護をまかされる人が本当に献身的に介護する状況を何の疑問も持たず、葛藤もせずに受け入れているわけではないという、多くの介護者が抱えながらどうすることのできない、本当の気持ちをはっきりと提示した初めての本である。

著者は夫が脳内出血で突然倒れて植物状態になった妻である。突然のことに立ち向かいながらも、他人の目を気にし、自分の行動が「普通」なのか「普通」から外れているのか、ちゃんとやっているように見られているのかをモニタリングして不安になっていく。

献身的に見えることのまるで献身プレイをしているかのごとくふるまうことが介護であり、疑問を持ちながら介護してもいいのだと実体験を元にしながら解く、一味もふた味も違う介護の本。(amazon 内容紹介より)

 

著者は自分と同世代のコピーライター、野田敦子さん。

「カリーナ」のウェブネームで2009年よりブログ「どうする?年齢とおしゃれ。それらの生き方」を開始、その後、ウェブマガジン「どうする?OVER40」の代表も務める。

主催者の一人である介護トークイベント「カイゴ・デトックス」は全国の介護に悩む女性が本音で話せる貴重な場。新聞連載「献身と保身のはざまで」が大きな反響を呼ぶ。介護をはじめ、女性の人生における本音を鮮やかな言葉ですくい取る姿勢に、熱烈なファン多数。(本著の著者紹介より)

 

ウェブ上で彼女の発する言葉にハッと気づかされ、胸のすく思いで勇気が湧くファンは多く、私もその一人。

著者紹介にあるように、社会の中でも同世代女性を引っ張るべく溌溂と活動的でいらっしゃる。

と同時に、自分と同じ普通の主婦としての日常を送っておられる様子をブログなどで拝見すると、とても身近に思えて、勝手にシンパシーを感じさせていただいている。

 

 

「犬の散歩から帰ると夫が倒れていた。」

そう始まる著者のそれからが順を追ってぎっしり詰まっている濃い内容である。

それからの2年間があっという間に思えるほど。一気に読み進んだ。

「献身プレイ」。

もしかしたら、その言葉からは奇をてらったかのような一瞬面白げな、ちょっと皮肉まじりのイメージが浮かぶのかもしれない。

しかし、あるのは「介護」に対するひしひしと真剣な著者の姿である。

目の前の現実と真っ直ぐ向き合い、おのれの心に正直であることを手離さず、そのための闘いから逃げず、自らの責任のもと決断を下す。

そのことを次から次へと挫けることなく続けてきた。

著者が必死に立ち向かうものをありありと、時にドキリとするほど明け透けに見せられながら、読者は気づき解放され勇気づけられていくのだと思う。

そんな本である。

 

著者は確固たる信念を持つ真の意味で強い人であるが、その前に、真に優しい人でもある。

自分以外の人に配慮を欠かさない思いやりの人である。

そんな著者の真摯な思いが込められたあとがきこそが、この本の紹介としては何より相応しいと思う。

 

あとがきより

 それでも、なんとか書き終えられたのは、介護の優等生になれずに罪悪感と自己嫌悪に苦しむ「私のような人」に届けたいと思ったからです。その気持ちは、最後まで揺らぎませんでした。

 

 人間は、たった一つの感情だけで生き続けることはできません。心のなかは、いつだって相反する叫びやつぶやきや嘆きがあふれ、ぶつかりあっています。そんな内面のバトルで勝利を収めがちなのは、世の中の常識や慣習を味方につけた「心の声」です。「こうしなければならない」という正しさをまとった心の声は、ほかの叫びやつぶやきや嘆きを自分勝手で許されないものとして否定しようとします。

 そうやって抑え続けることを、「自分を殺す」と呼ぶのかもしれません。どんなに美しく立派でも、あまりにも苦しく、つらいことだと思います。

 

 愛しているはずの親や配偶者、子どもを看護・介護しながら、「こんなことを思っていいのか」と日々、迷い悩んでいる人に「私なんてこうだよ。もっとひどいでしょ」と自分の体験や感情を正直に差し出し、「ああ。私だけじゃない」とつかの間でも安堵してもらいたい。殺していた自分を蘇生させ、しばし伸び伸びしてもらいたい。非力ながらも、そんな願いを込めました。少しでも伝わっていたら、うれしいです。

 

 

「自分を殺す」ことに抗い「自分を蘇生」させ「自分を守る」ことが、ただ自分のためではなく、

もちろんそうであっていいのだけど、

著者が守ろうとしたのはそんな「自分」の前に、「夫」と「娘」だったのではないだろうかと、

義母を介護した経験から、ふと思う。

義母を疎ましく思いたくない。夫を憎みたくない。娘に負担をかけたくない。

そのためには自分の心身が最低限保たれていなければならない。

自分を殺し疲弊させることで自分の心身が壊れることが恐かった。

それでは誰も守れないどころか、全てを壊してしまう気がした。

私も自分を守ったと思う。

そして、義母を守り家族を守れたのではと思う。

 

 

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