すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

私の「献身プレイ」

 

献身プレイ??

 

何のこと?と思われたら、前記事をご覧いただけると有難いです。ご覧いただかなくても大丈夫…です(^^;  

komakusa22.hatenablog.com

 

朝、台所で片付けをしながら、そろそろ義母の部屋に行きポータブルトイレの始末をしなければと考えていた。

夫はコタツでテレビ。

「お義母さんのトイレ、片付けようか」と声をかけると、

「うん、ありがとう」と応え、テレビを観たまま動く気配がない夫。

その瞬間小さくカチン!

「そうじゃなくて、お父さん(夫)も一緒にやってくれる?」

さくっと言ってのける私に、夫はハッとした顔で振り返りあたふたと義母の部屋に向かった。

 

家の中で転倒、骨折。リハビリの最中に再び骨折、手術。

9ヶ月弱の入院生活の末、元の体に戻ること叶わず車椅子生活を余儀なくされた義母。

車椅子で退院した義母を迎えての初めての朝、夫とのやり取りを今でも忘れません。

 

 

退院前、医師に「施設に入りますよね」と言われた時、自宅で介護したいと言った夫。

医師は「はあ、そうですか…」と少し驚いたそうです。

それを聞いて、やっぱりそうだよね、通常なら施設に入る状況だよねと思いました。

介護度4の認定を受けた義母の自宅介護はいかにも大変だと想定されましたし、

その前に、それを可能にするには私たちが隣県の自宅を離れ、義母の家に住み込まなければなりませんでした。

いったいどれだけの年月を要するのか先が見えないまま、そうすることに私は不安を覚えました。

けれど夫はそうは考えず、それほど大変なことを母親の為にしてやろうとすることに満足していたのだと思います。

自分の親だったら、私はそれを選ばなかったでしょう。

義母と同じ状況なら、どんなに愛する親でも自宅での介護は無理だと判断し、違う方法を選択したと思います。

無理をして生じる歪みが何かを壊してしまうことを恐れるから。

何より、自分の親のために夫を巻き込みたくないから。

ただ夫は、私に対してそのように慮ることはなかったのです。

後に「自分がやると言えばお母さん(私)も協力してくれると思っていた」と安心しきった顔で言われた時には、やり切れなさの後、悲しくなったものです。

夫は私を称えるつもりで言ったのかもしれませんが、ちっとも嬉しくない。

それどころか、ますます良い妻、良い嫁であることを求められたようで、心は圧し潰されました。

私はもはや「献身プレイ」の渦中でした。

 

私の考えを訊かれることはなかったです。

いや、あったような気もしますが、母親を家で面倒みたいと明言する夫に、事を荒立てるように嫌とは一切言えませんでした。

今思えば、義母を介護するにあたり自分の気持ちを押し殺した最初だったでしょう。

 

とにかく、どうしても夫がやりたいと言うのならとりあえず協力しようと考えました。

いや、協力のレベルじゃないですね。私がやらなければ自宅介護など不可能でしたから。

それでもやってみて、どうしても無理だったらその時考えようと。

そうして始まった義母の介護の初っ端に、夫はまるで関係ないかのような態度で私にトイレの始末を任そうとしたのでした。

 

自宅介護をしたいと言ったのはあなたでしょ

もちろん私も頑張るけど

あなた主体であるべきなんじゃないの

それくらいの覚悟で決めたことじゃなかったの

 

心の中で呟きながら、夫の覚悟はやはりそんなものかと落胆しました。

妻の献身ありきの夫の「覚悟」とやらが腹立たしかった。

その後もそんなことは何度もありました。

 

 

義母の家に拠点を移してしまうことは難しく、自宅から片道2時間半の道のりを毎週通いました。

デイサービスやショートステイを利用し、最低限自分の心身を守ることもしました。

途中から遠方の実両親の生活支援にも月に一週間ほど通わなければいけなくなりました。

心身への負担は積み重なるように溜まり、ひとり自宅に居られる時にはひたすら眠りました。

 

ただ、極端に言えば私の負担が大きくても構わないとさえ、ある時から思ったものです。

自分が納得したことならば。

言うのはあなた。それを私は良しと思えない。

なのにそれを実現すべく動くのは私。私でしかない。

納得いかないことを口に出せず、周囲の望みに沿うべく献身する。

そんな私への夫、義妹、義母の態度も納得いかない。おかしいだろと心で叫ぶ。

それでも尽くす、まさに「献身プレイ」。

 

そんな日々が続き、やがて腰のヘルニアが悪化。精神的なストレスもピークになったある日、爆発しました。

 

夫に思いを整理して伝えたいと、当時の手帳に書いたものが残っています。

今読み返してみると、整理したつもりがほとんど恨み節。書きなぐったのでしょう。

恥ずかしながら…。

 

きっと何をどう言っても私の思いは伝わらないと思います。それは多分、不満や文句にしか過ぎず、理解されない虚しさでもはや口に出すこともしんどいです。

それを口にして、誰かにたとえば謝られたとしても、私の気持ちを真に理解してくれたとは思えません。

結局のところ、私自身納得できていないこの一年の流れの中に巻き込まれてしまったという感です。

自分だったら、親に、兄弟に、配偶者に、こうしない。こうする。家の事もこうしない。こうする。そう考えることも多々。

だけど「俺がやる」と言う夫を助けるしかなく。家の事、親の事。その都度、自分自身に納得を強いながら。

そして、いつの間にか、否、当然の如く、日常的な介護の中心に据えられている現状。重い責任と辛いプレッシャーと共に。

仕方ないとおのれに言い聞かせながら、それでも尽くしているつもりの義母、夫、義妹の態度に腹立たしく思うこともあるのです。

その感情が当然のことなのか、辛抱が足りないのか、私にはわかりません。

ただ、少なくとも私は夫が期待するような、神様のように広い心の妻ではないのです。

具体的に一つ一つ説明してもあなたを嫌な気持ちにさせるだけで、何も良いことがないので言いません。

言ったところで、きっと何も変わりませんし。

そうですね。

9月頃には「隔週で訪問する」でも大丈夫になっていると有難いです。体的には楽になりますから。

そうですね。

感謝の言葉やら気遣いやら、もはやそんなことよりも、具体的な介護体制の変更が有難いです。

 

 

良き妻、良き嫁であらねばとガチガチに縛られた果ての自分自身が哀れでもあります。

ただ、絶望しながらもギリギリのところで踏み止まろうとしているのが、自分で言うのもなんですが涙ぐましい(;^ω^)

これをきっかけに介護体制が見直され、夫の意識も少し変化したように思います。

私の「献身プレイ」は少し形を変えて今も続いているのかもしれません。

まあでも、許容範囲ということで、頑張ります。

 

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