『岩合光昭の世界ネコ歩き』が好きでよく観ています。
子どもの頃に猫を飼っていたこともあり、もともと猫好きではありましたが、
猫を知り尽くした岩合さんのナレーションが猫の気持ちを代弁してくれるようで、
改めて猫の習性や気質を知ることが出来、とても興味深いのです。
猫ならではの仕草に心癒されるひと時でもあります。
ただ、観ながらふと気づくのですが、
こんなにも見ている者の心を優しく解きほぐしてくれる猫ですが、その顔はたいてい無表情。
飼い主に抱かれ撫でられ、もちろん喜んでいる様子ですが、その顔は意外に無表情だったりするのです。
猫を愛でながらとろけるような笑顔になる人間に対し、お愛想などは一切致しませんとばかりにあくまでもCOOL。
そもそも動物の顔とはそういうものなのでしょう。
無表情とか言われるけど、これがアタシの顔なのよって猫には言われるのかも。
ただ、身近な動物の双璧とも言える犬が、笑っている様だったり悲しんでいる様だったり、上目遣いでねだったり、マズイことして伏し目がちになったりして表情豊かなのに対し、
猫はどんな場合もことさら何かを表そうとするでもなく、無表情でスーーンと其処に佇んでいる感じ。
夫などは何考えてるかわからないからちょっと恐いとも言います。
ですが私は、そんなわからない猫に惹かれてしまうのです。
あ、猫にまた言われるかな。無表情、無表情って失礼な、って。
耳や髭や尻尾、それに体勢や身のこなし、何より目線の動きでアタシの気持ち、読み取りなさいよってね(^▽^;)
先日、“フキハラ”という言葉をテレビで目にしました。
“不機嫌ハラスメント”という造語を略したものらしいです。
配偶者からの、些細なことに苛立つ不機嫌や訳の分からない不機嫌にさらされ、しんどい思いをしている人たちの声を取り上げていました。
その内容に共感したり、逆に自分も相手にやってしまっているなぁとハッとしたりでした。
その中であるコメンテーターが
「不機嫌と言えば、その代表格は猫なんですよね。ただ、私たちは猫とはそういうものだと思っているから、猫の不機嫌を許して受け入れられる」
というようなことを話していて、“フキハラ”とは違うところで妙に納得でした。
許して受け入れるどころか、そんな猫の身勝手な不機嫌を魅力に感じ、愛しちゃってもいる。
嫌なものは嫌、自分のしたい様にする、不機嫌で何が悪い!
小さい体でそんなふうにキッパリと生きている猫に憧れているのかな(*´ω`*)
ところで、配偶者の不機嫌。
あの人はそういう人だからと許容出来るかと言えば、それが長きに渡るとしたら無理でしょうね。
訳の分からないことやどうでもいいことで不機嫌をまき散らすな!って言っちゃうな。
あ、自分もか…( ̄▽ ̄;)。
気をつけよう。
次女が高校生の頃、道路上で走り回っていた野良猫くんを危ないからと保護してきました。
動物病院で診てもらうと生後3ヶ月くらい。
我が家では既にインコを飼っていて、猫を一緒に飼うことは難しいだろうと思われ、
ならば里親を探すことにして、その間、我が家で世話をすることに。
そのうち情が移り、このまま家族にしようかなどと話していたのですが、
野生の本能が残っていたのでしょう。
成長するにつれ、インコを狙うような仕草を見せるようになり、「やっぱり無理だね」と。
結局、3ヶ月ほど我が家で暮らし、新しい飼い主さんのところに貰われていきました。
少しの間の家族だったけど、別れる時は寂しくて辛かったです。
すごくヤンチャな男の子で人間たちは振り回されたりもしましたが、
片や、おトイレもすぐ出来た利発なお利口さんでもありました。
可愛かったなぁ…(*´▽`*)
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