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「地下鉄(メトロ)に乗って」浅田次郎~好き放題書いてますm(__)m

 

浅田次郎氏の「鉄道員(ぽっぽや)」を読んでの拙記事にいただいたコメントでお薦めいただき、早速読みました。

 

地下鉄(メトロ)に乗って」 浅田次郎 1995年吉川英治文学新人賞受賞作

 

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こちらも「鉄道員(ぽっぽや)」同様、既に多くの方が読まれているでしょうし、映画、ミュージカル、テレビドラマにもなっているようで、ご存じの方も多いと思います。

ご存じない方へ、興味を持っていただけたらと、あらすじ記してみました。Wikipediaに掲載されているあらすじが過剰でもなくちょうどいい加減なので)

主人公の小沼真次は、女性用下着を売り歩くセールスマンだが、真次の父親である小沼佐吉は、世界的に有名な「小沼グループ」の創立者であり、真次はその御曹司であった。

真次は父親の母や兄への傲慢な態度に反発し、高校卒業後、家を飛び出していたのだ。

ある夜、永田町駅の地下鉄の階段を上ると、そこには30年前の1964年(昭和39年)の風景が広がっていた。そこで真次は、在りし日の兄を目撃する。

その後真次は、同僚であり、自立した愛人関係でもある軽部みち子と共に、現実と過去を行き来しながら、兄の過去、そして、父の生き方を目撃してゆく。

 

奇想天外なストーリーで、時代も行ったり来たり。

場面もあっちこっちに飛ぶので、自分の様な非読書家はついていけないかと思いきや、さすがの構成力と表現力なのでしょうね。

するすると導かれ、置いていかれることなく一気読みでした。

また、奇想天外でありながら、やはり根底にあるのは浅田次郎氏のどの作品にも流れるテーマであることに惹きつけられ、自分自身を離さなかったのだと思います。

すごーく勝手で、的外れを承知で言えば、

愛と憎、思慕と拒絶。ひとのどんな感情をも慈しみ昇華させようとする願い?祈り?を感じます。

そしてまた、失礼を承知で言わせていただければ、浅田次郎さんはずっと愛を求め続けている。

彼の求める情愛がそこにある。

そんなふうに感じます。

もう一度言います、すごーく勝手で的外れで申し訳ありませんm( _ _ )m

 

読み始めてすぐ、ハッと胸を突かれるような文章に出会いました。

 感動も醒めやらずに階段を昇り、地上に出たときの青梅街道の夕映えは、母の胎内からこの世に生まれ出たときのように鮮烈である。

 都電の廃線が水銀を流したように延びており、銀杏の影が長く倒れていた。

余計な修飾語を取り除き、スパンと言い当てる表現にまざまざと情景が浮かびます。

これこれ!きたきた!

これからいくつものこうした言葉たちに出会えるのかと思うと、読み進めるのが俄然楽しみになりました。

 いったい何を言おうとしたのか、黙って息子たちを睨みつけた父の、猛禽類のような目を真次は忘れない。それは冷ややかな、悲しみなどかけらもない、獣の目だった。

浅田作品初体験の「鉄道員(ぽっぽや)」を読んだ時も感じたのですが、浅田次郎氏の文章には修飾語が多いと感じていて。

しかし、それは決して長々と多いのではなく、簡潔な言葉の表現で、誠に鮮やかに且つストレートにそのものに迫るものでして。

私が浅田氏の作品の何に惹かれるのかと考えると、先ずは彼の用いる修飾語の爽快さや小気味よさなのだと思います。

想像を掻き立てられる生々しさやすぐさま映像となって浮かぶリアリティもたまらない。

今書きながら思ったのですが、浅田氏の表現のそれは俳句的でもあるのかなと。

映像を淡々と描くことで読み手に想像させ、余韻を残す俳句の世界。

たった十七音で自分の伝えたい思いを表現するには余計な言葉を排除し、相応しい言葉を選び取らなければならない。

毎週楽しみに観ているテレビ番組で俳人の夏井いつき先生が度々おっしゃられていて、それで、ふと。

いろいろ偉そうに語っていますが、浅田ワールドの新参者です(;^ω^)

 

ところで、ここまで書いておいてなんですが、夢中になり一気読みした「地下鉄に乗って」。実は、結末と言うか終わらせ方には残念な思いが残りました。良い悪いではなく、好きか好きでないかという一読者の我儘に過ぎません(^^;。そういうのをひっくるめて浅田ワールドにはまっています。 

 

銀座線のシーンがあります。

 黄色い旧型車両が退役したのは、つい先ごろのことである。電車はどれも長命だが、たぶん退役直前のそれは、日本で最も長い時間働き続けた車両のひとつだったにちがいない。何度もペンキを塗り重ねられた壁やボディはでこぼこで、サードレールはカーブのたびに、甲高い神経質な悲鳴を上げたものだった。

 そして時おり、たぶん集電システムの接触の関係なのだろうが、車内の蛍光灯がいっせいに消えることがあった。すると間髪を入れずに、ドアの脇に取りつけられた小さな補助灯が点灯した。ひと駅の間に、そうして何度もドラマチックな光と闇とを体験できる、小さな、年老いた車両だった。

そうそう、そうだった。

大学生の時だったか、社会人になってからだったか、初めて銀座線に乗り、車内のレトロ感にへぇーと目を輝かせていたら、突然真っ暗になって、するとドアの脇の小さな灯りがポッと点いて。

初体験にドキドキした後、銀座線が走り続けた過ぎし時代を思い、その時代に生きこの車両に乗ったであろう人たちの姿が浮かぶようで、何だか胸が熱くなったものだ。

この本を読んだから言うわけではないけど、今思えば、あの一瞬の暗闇はタイムスリップを起こしそうであったかもしれないなぁ( ̄▽ ̄;)

 

余談ですが、

「地下鉄に乗って」と言えば、岡本おさみ作詞、吉田拓郎作曲で同名の歌があります(1972年)。(こちらはそのまま“ちかてつにのって”と読みます)

「猫」というグループが歌って、拓郎自身も歌っています。

詩の内容から考えるに、乗っているのは丸ノ内線

小説「地下鉄(メトロ)に乗って」でも銀座線と共に丸ノ内線(沿線)が重要な舞台となっていて、題名が被っていることに(浅田さん、もしや意図がある?)ってちょっと思いました。無いかーー( *´艸`)

 

 

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