すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

母の「相槌」

 

10年近く前のことですが、とある紙面に一冊の本の紹介文が掲載されていました。

その内容に心惹かれるものがあり、ノートに書き写しました。

 

「家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日」

歌人であり京大名誉教授である永田和宏氏が、同じ歌人の亡くなった奥さま河野裕子さんについて書いたエッセー
2009年9月から、乳癌を再発した裕子さんと家族4人で短歌、エッセーをリレーして書いたもの

と説明があり、その中の「相槌」という歌とエッセイが紹介されていたのでした。

 

「相槌を打つ声なきこの家に気難しくも老いてゆくのか」 永田和弘 

 

(略)
 私たち夫婦はとにかく何でもよく話す夫婦であった。
私が帰ればたちまち河野の速射砲のごとき話が追いかけてくる。 私がトイレに入れば、扉の前で話し続けたものだ。私もよく話した。
 そんな話の中で、「よかったわね」「それはすごいわね」という河野の相槌は常に私を安心させてくれた。
歌でもサイエンスでも、私はこれまで人並み以上に頑張ってきたと思う。
それは河野のそんな相槌を無意識のうちに求めていたから続いたことなのかも知れないと、この頃痛切に思う。
 歌一首を河野が「いいわね」と言ってくれる。誰が認めてくれなくとも、それで十分だった。
研究成果がいい雑誌に掲載される。内容はわからなくとも、「よかったわね」とひと言が聞ける。
そんな相槌が私のこれまでの努力を支えてきたのかも知れないと思う。
 男一匹、なんというスケールの小ささよと笑われれば返す言葉がないが、自分の話を聞いてくれる存在の大きさに気づき、その相槌が何ものにも代えがたい喜びであったという発見を、今さらながら私は誇らしくも思うのである。
だから余計に、その何ものにも代えがたい存在を失うかもしれない不安と怖れに打ちのめされそうになる。  (22・7・31)

河野裕子永田和宏、その家族(著)「家族の歌」p40より) 

 

……………


相槌…

母もよく相槌を打ってくれていました
よかったね、がんばったね、すごいね、そんなこともたまには言ってくれたけど
何より、とりとめもなく喋り続ける私の話を、うん、うんって
聞いているんだかいないんだか
それこそ、私が話すのをやめるまで相槌を打ちながら聞いてくれました
うるさいね、もういいかげんにしなさい、そんなふうに言われたことなかったな
それってなかなかスゴイことだと思う 
なかなか出来ないよ
自分が親になって出来たかと訊かれれば、自信がありません

全然関係のない話に相槌を打ってもらいながら
その日学校でちょっと悲しかったこととかも自分の中で折り合いをつけていた
何度も同じ話をして、同じところで母にコメントを求めて
そうすると母はいつも何度でも同じように応えてくれて
バカみたいだけどそれが何とも心地よくて安心した

夫である永田氏が妻の裕子さんの相槌を切なく愛おしく書き記す想いに
対象は違うのだけど、母のことを思い出します

 

相槌…

誰にとっても安心を与えてくれて、支えてもくれる
そんな温かい働きかけなのかもしれませんね

今、孫が出来、とりとめのない孫の話をうんうんといつまでも聞いてやりたいばあばです
何度も繰り返される孫の問いかけにも何度でも答えてやりたい
時間にも気持ちにも余裕があるのです
ばあばの出番かなと思ったりして(*´ω`*)

 

余談ですが、
我が夫婦の議論?(苦笑)も、適当なところで「うん、そうだね」って相槌打てれば夫婦喧嘩に発展しないんだろうなあ
大抵の場合、どうでもいいことでいつまでも張り合っているので(末っ子にもよく言われる)
まあでも、それが出来ないんですよねぇ(;^ω^)

 

……………

 

当時、上記の本を買おうとして、でも書店に無く、こちらの本を立ち読みで一つ二つと歌を目で追うだけで泣けてしまい、即購入したのでした。

短歌380首とエッセイがおさめられています。

「たとへば君 四十年の恋歌」 河野裕子永田和宏

 

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