前回、「赤いハイヒール」に苦い青春時代が思い出され、つい暑(重)苦しく書き連ねてしまいました。
もし、驚かれたり気分を害された方がおられましたら、申し訳なく思いますm(__)m
幼稚でおのれの事しか見えず、殻に閉じこもっていた未熟でおバカな自分にお付き合いさせてしまいました(;´Д`)
ありのままの自分をわかってくれ、ありのままの自分でも好きでいてくれて、
「そばかすお嬢さん、ぼくと帰ろう」
そう言ってくれる人を求めていた
などと書きました(恥)
いえ、嘘ではなく、あの頃の自分は本当にそうだったと思います。
では、今一緒にいる人はそんな人なのかと言うと、実は私にはわかりません。
何故なら、私は夫に、何なら子どもたちにも親にも兄弟にも、結局自分の本当のところを見せておらず、
故に、夫がありのままの私をわかってくれて好きでいてくれるのか、不明だからです。
(また、ややこしいこと言い出しました(^^;)
話を少し戻しますと、
苦い青春時代のさなか、ある時、ある事に気づいたのです。
ありのままの自分をわかって欲しいと言いながら、私はありのままの自分を目の前の人にさらけ出せるのか?
いや、それはきっと出来ない
ありのままの自分のしんどさを誰かに告げて、その誰かがしんどくなるのは嫌
その後、微妙に気を遣わせるのも嫌
じゃあ、ありのままの自分をわかってもらうって、そもそも無理じゃない?
それに、
ありのままの自分をわかって欲しいと誰かに求めるけど
私自身がありのままの自分を受け入れられていない
自分が受け入れられていないのに誰かに求めるって、ちょっと傲慢なのかも
だね…
自分を苦しめているのは他でもない自分自身、過剰過ぎる自意識であることを自覚し、
ありのままの自分を仕方ないと受け入れることから始めました。
そうして肩の力が抜けてきたら、自分の本当のところをわかって欲しいと思わなくなったのです。
自分の本当のところを隠して、もしそれがありのままの自分でないとしても、
自分はただあるがままにいればいいと思えるようになった。
もっと言えば、自分の本当のところをさらけ出せない、それこそ自分のありのままの姿。
そんな自分をわかってやれるのは自分しかいないし、自分だけでいいじゃない。
わかって、わかって、と人にすがり求めることもない。
そんなふうに考えるようにもなりました。
思うことがあっても「ま、いっか」
囚われず縛られず、あるがままに
自分の中で開き直って、今に至ります。
そういうわけで、
私は夫や家族にありのままの自分を見せているとは言えず、
なので夫や家族がありのままの私をわかってくれているとは言えないけれど、
別にそれで構わない。
ていうか、それでいい。
あるがままにいて、今、幸せと思えていることで十分…。
「赤いハイヒール」を久しぶりに聴いたのをきっかけに、昔の思いが蘇りつい泣けてしまいましたが、
たとえ匿名のブログ上とは言え、その時の思いを言葉にして振り返られることは、自分の中できちんと消化し、或いは昇華出来ている、
そういうことなのかなと思います。( ̄▽ ̄)
2/25 17:12 まだ明るい東の空に。13番目の月らしい。
ウサギさんの長い耳が見えるような、見えないような。
※前記事の暑(重)苦しさを少しでも払拭するべく、サクッと気楽に書きたかったのに、又ややこしいことに…。スミマセン(;^ω^)
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