同世代の方のブログで、お若い頃の原宿の様子、そして今日は拓郎の「ペニーレインでバーボン」について触れられていて。
表参道、原宿ペニーレイン。なんと懐かしい響きでしょう…。
大学生の頃、友だちとよく原宿へ行きました。もうずい分と前のことです。
授業が休講になると「行く?」「行こ!」
原宿駅で降りて表参道を明治通りまで歩いていく道すがら、小さなブティックをのぞいたり、古い建物を眺めたり。
道端に並べられている様々な絵やアクセサリーなどを見たりして、木々の緑の中を楽しみました。
あの頃はまだ大きなお店がそれ程無く、平日の昼間などは人もまばらだったので、表参道を穏やかな気分でゆっくり歩くことができました。
そうして特に何を求めるわけでもなく、ただペニーレインに行きたくてそこへと向かうのです。
ラグビーの試合を秩父宮や国立競技場まで応援に行った帰りは、青山通りを通って表参道を神宮前へと歩きました。
そして、ペニーレインでお茶を飲みながらほ~~っとすると、なんとも言えず幸せでした(❁´◡`❁)
当時、拓郎の馴染みの店と言われていたペニーレイン。
そこで拓郎に会えるなんて、多分起こり得ないだろうと思いつつ。
でも、万に一つ会えるかもしれないって、いつも胸躍らせながらお店の扉を開けていましたっけ。
残念ながらただの一度も会えなかったけど…(*´ω`)
10年ぐらい前、久しぶりに原宿へ行き表参道を歩いてみました。
平日だというのに、まず人の多さに驚愕!
揉みくちゃになりながら、人の波に押されるように歩きました。
道沿いの建物もすっかり様変わりして、当時の面影はありません。
木漏れ日の中ゆっくりと表参道を歩いた日がはるか遠くへ過ぎ去ってしまったようで、そりゃそうだと思いながら寂しくもありました。
確かここを入ったところ…と記憶を頼りに探した場所にペニーレインはなく。
ここでも又、時が経ってしまったことを思うのでした。
後で知るのですが、少しばかり場所を変えてペニーレインは健在でした。
それでも、もうペニーレインには行かないだろうなと思います。
表参道の人混みも、もういいかな(;´Д`)
時がたってしまうことを 忘れてしまいたい時があるよね
すべてのものがなにもかも 移り変わっているものの
何となく自分だけ意地をはり通して
さからってみたくなる時があるよね
そんな時 僕はバーボンを抱いている
どうせ力などないのなら 酒の力を借りてみるのもいいさ
こうして今夜も原宿ペニーレインで
原宿ペニーレインで飲んだくれている
ペニーレインでバーボンを ペニーレインでバーボンを
今夜もしたたか酔っている
「ペニーレインでバーボン」より by吉田拓郎 (1974年12月リリース)
その後、1984年、拓郎は「ペニーレインへは行かない」をリリース。
僕が知っている風景は今はもう
原宿あたりにも心の中にもない
だから だから ペニーレインへは
もう行かないよ
「ペニーレインへは行かない」より by吉田拓郎
表参道、原宿と言えば、やはり拓郎の歌で「風の街」があります。
1975年に放送されたテレビドラマ『あこがれ共同体』の主題歌として、喜多條忠作詞、吉田拓郎作曲で制作され、山田パンダさんが歌いました。
翌年、拓郎自身もセルフカバーしています。
私にとって表参道、原宿は、つまりこんなイメージで残っています。
道のむこうで手を振った
大きな声でサヨナラ言った
あいつをふと思い出す
今も元気でいるだろか
白い仔犬を抱きあげる
君はちょっぴり幼く見える
表参道 原宿は
なつかしすぎる友達や
人に言えない悲しみすら
風が運んでしまう街
「風の街」より
アルバム「今はまだ人生を語らず」1974年12月10日リリース
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