ずい分前、俳優の遠藤憲一さんが「学生時代、弁当に納豆が入っていたことがあって驚いた」とテレビでおっしゃっていて、私も驚いたことがある。
慌てて隠したけど友だちに見つかって「納豆だぁ⁉」とからかわれたが、「そうだ、納豆だ」と開き直って食べたそうだ。
遠藤さんのお母様は育ち盛りの息子に栄養価の高い納豆を是非食べさせたいと考えたのだろうか。
それとも、おかずになる物が見当たらなかった?
遠藤さんはほとんど困惑しながらも心の何処かでお母様の愛情を感じながら納豆のお弁当を食べたのかもしれないなと考えると、何だか微笑ましかった。
若い頃の職場の10歳上の先輩は、お母様が作ってくれていたお弁当にくさやが入ることがあって、その度、半泣きだった。
「うちの母がごめんね」といつも謝ってくれたが、くさやはその後も時々登場した。
正直、食堂に充満するくさやのニオイにはちょっと困りもした。
それでも、年老いたお母様の愛情を無下に出来ない先輩の優しさが素敵で、まるで身内のように愛おしく思えたものだ。
食べた後の弁当箱をきちんと洗うことを教えてくれたのもその先輩で、「お母さんにありがとうって言って返すのよ」と教えてくれたのだった。
高校時代はお弁当だった私。
毎日、母の作ってくれるお弁当をただ当たり前のように食べるだけだった。
前記事では母の鬼の一面を書いたが、総体的には優しく朗らかな人で、兄や私にたくさんの愛情を惜しみなく注いでくれたのは間違いない。
母の愛情はお弁当にも表れ、豪華なおかずが詰まっていたわけではないが、いつも一つ一つ手作りのおかずがバランス良く入っていた。
当時は冷凍食品の便利なお弁当おかずといったものは無かったと思う。
自分が子どもたちにお弁当を作っていた時、冷凍食品の有難みをひしひしと感じていたので、あの頃の母の大変さを遅ればせながら思った。
同時に有難さも。
毎週土曜日は午後から部活の練習があり、仲間とお弁当を食べた。
ある時、(鬼の)キャプテンが私の卵焼きと自分のチーカマを交換してくれないかと言った。
「いいよ」と了解すると、「この卵焼き、ずーっと食べたかったんだよね」と言いながら、嬉しそうに頬張った。
「ホウレンソウが中に入ってて美味しそうだった。やっぱり美味しい」と褒めてくれた。
「こんなの私、できないよ」と言うから、「じゃあ今度から○○の分も作って貰うよ」 と言った。
彼女は自分でお弁当を作っている。作らなきゃいけない。
ということに今さら気づいて、当然のこととして母に作って貰っていることが彼女にも母にも申し訳ないような、切ない気持ちになった。
それからは毎週土曜日のお弁当にはホウレンソウ入りの卵焼きを母にリクエストするようになった。
「食べて」と言う私に「悪いからいいよ」と遠慮する彼女に、「チーカマと交換して」と頼むと、じゃあと言って卵焼きを取ってくれた。
いつもキリッと強気のキャプテンが幸せそうにホウレンソウ入り卵焼きを食べる顔は、幼子の様にあどけなかったことを覚えている。
私は私でそれ以来チーカマの美味しさにはまり、今でもスーパーの食品売り場で見かけては買ってしまっている。
食卓でイイ役割を務めるのはもちろんだが、ビールのつまみに、小腹が空いた時に、気軽に食べられてくれる憎いヤツである。
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