子どもの頃、親が転勤族だった為、引越しを繰り返してきました。
2才から8才までの間、住んでいたのは父の勤め先の社宅。
木造平屋の二軒続きの家で、四角い家の一面がお隣とくっついていました。
物音も話し声さえもけっこうダイレクトに伝わり、今ならいろいろ問題も出る状況だったと思うのですが、
当時、お隣とは家族構成も似て、共に故郷を離れた家族同士という親近感からか、
「あら?ゆうこちゃん、ずっと泣いてるけどママいないのかな?」と母が様子を見に行ったり、
「今すごい音したけど大丈夫だった?」と隣のおばちゃんが心配して訪ねてくれたりして、
お互い、隣の家の音をまるで自分の家の一部のようにして生活していました。
時には子どもどうしで隣と接している押入れの壁越しに大きな声で話したり、叩いて信号を送って遊んだりして、ホント楽しかった。
今でも微笑ましく思い出すのは、
毎朝、隣の2歳下のゆうこちゃんがトイレで歌う声が、壁一枚で仕切られた我が家のトイレで聴こえたことです。
ゆうこちゃんは自分のことをタンちゃんと言っていたので、
「きょうはタンちゃん、ぞうさん歌っとったぞ」と、何故かトイレタイムが重なる父が愉しげに定例報告したりして。
チューリップのときもありましたね。
その度にみんなでうふふと笑い、温かい気持ちになったものです。
……………
どうしてあの頃はあんなに楽しかったんでしょう。
子どもも親も生き生きと、隣近所一緒くたになって暮らしてた。
私の原体験にあるのは、誰の親、誰の子ども、ということじゃなく、
親たち総がかりでそこで育つ子どもたちの面倒をみてた、そんな暮らしです。
誰のお兄ちゃん、誰の妹、ということを超えて、
もつれあって、はじきあって、頬寄せ合った、子ども時代です。
どこにいても、自分ではない人の温もりを常に感じることができました。
どこにいても、声を出せば誰かがなぁにと聞いてくれることを当たり前のように確信していました。
どこにいても、声をあげて泣いてしまってもいいんだという安心感が心をほぐしてくれました。
だから、無邪気でいられた。
今思えば、
休みだからといってその度に親がいろんな所へ連れて行ってくれたわけでもなく、
身の回りにおもちゃがたくさんあったわけでもなく、
いつもいつも3時のおやつがあったわけでもありません。
だけど、なんだか満たされてた。
小さい子どもの本当に欲しいものが、溢れるほどあったのだと思います。
↑一週間前の桜。一週間後の今は暖かな南風に花びらを散らして、当地の桜もそろそろお終いです。美しい春をありがとう♡また来年、会いましょう(^^)
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