すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

「努力は必ず報われるんだなと思いました」池江選手、おめでとう!

 

水泳選手の池江璃花子さん。

東京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権で、100mバタフライで優勝しましたね。

100mバタフライの五輪派遣標準記録には僅かに届かなかったけれど、400mメドレーリレーの派遣標準記録を突破。

リレーメンバーとしての東京五輪代表入りを内定させました。

 

昨日はテレビの前で大興奮!

試合後の選手インタビューでは、涙をこらえながらの池江選手の言葉にもらい泣きでした。

「すごくつらくてしんどくても、努力は必ず報われるんだなと思いました」

 

東京五輪の星と期待されていた彼女が白血病を公表したのは2019年2月。

突然のニュースに、前途洋々でしかないと思っていた彼女が何故⁈と大きなショックを受けました。

若い彼女に与えられた試練があまりにも痛々しく、親心も加わり可哀想で仕方なかった。

彼女自身も、どれほど「何故、私が?」と怒り、苦しみ、哭いたことでしょうか。

 

しかし、彼女はすぐに自分の声で姿で自身の思いを伝えてくれましたね。

心配し騒ぐだけの私たちをまるでなだめてくれるかのように、真摯な思いを真っ直ぐに語ってくれた。

若い彼女の強い精神力に頭が下がる思いで、感動すら覚えました。

そんな彼女を自分ごときが可哀想と思うことが不遜に思えました。

 

競技生活の継続どころか、おそらく命さえ危ぶまれた時もあったかもしれません。

それでも彼女は、苦しい抗がん剤治療などの10ヶ月にも及ぶ闘病生活を経て少しずつ回復。

昨年3月にはプールに戻ることを実現させました。

ただ、体重が15㎏落ちたという体は素人目にも筋肉が削げ落ち、闘病の過酷さを改めて知るのでした。

彼女に注目し、彼女に言葉を求めるテレビインタビューの中で、「パリ五輪を目指す」と目標を掲げる彼女に、「そうだね、ゆっくりだね」とテレビのこちらから語りかけたものです。

ただただ無理をして欲しくなかった。

世間の期待など気に留めず、自分のペースでゆっくり目指してくれればいいと。

今思えば、パリ五輪さえもしかしたら無理なのかもしれないと私の心の何処かにあった気もします。

 

ところが、今回のこの結果。

体力的にはまだピークには戻っていないのでしょうが、それをカバーして余りある天才的な水泳センスと、勝つ者こそが持つ圧倒的な集中力を目の当たりにして驚愕。

何より、

常に明るく穏やかに、ともすれば自らを律してそうしているようにも(老婆心ながら)感じ、精神性の高さに感心せずにはいられない彼女の、超一流の負けじ魂がありありと見えたことに大感動でした。

 

どれほどの努力を重ねたことでしょう。

「すごくつらくてしんどくても、努力は必ず報われるんだなと思いました」

あれこれを語らずとも、彼女にはそれこそが唯一つの真実の思いなのだろうことが、痛切に胸に刺さりました。

過酷な病と闘い、自分がいるべき場所に戻り、そして東京五輪出場内定の切符を手にした。

そこに至るまでの想像を絶する努力が報われて本当に良かった。

 

心からおめでとうございますと言いたいです。

ありがとうございます、とも。

コロナ禍で不安な日常を過ごす私たちの心を明るく幸せな喜びに満たしてくれ、勇気づけてもくれました。

 

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おめでとう!(画像はお借りしました) 

 

……………

 

ところで、「努力は必ず報われる」

この言葉はなかなか悩ましいとも思っていて。

残念ながら自分がどんなに努力しても報われないことはあるでしょう。

特にスポーツの世界ではトップでなければ報われないとなれば、ほとんどのアスリートの努力は報われなかったことになります。

では、それらの人たちの努力が足りなかったのでしょうか。

そんなことはないでしょう。いや、そうである場合もあるけど。

そこが本当に悩ましい。

 

「努力は必ず報われる」と言えた人はある意味ラッキーなのかもしれませんね。

もちろん果てしない努力の裏付けがあったとしても。

努力をし、でも報われなかった人たちは、池江選手の言葉を聞いてどんな思いなのだろうとふと思いました。

自分の努力が足りなかったと自分自身を責めるのでしょうか。

 

池江選手の快挙を心から祝福することとは別にそんなことを考えていたら、東京スポーツWeb版に次のような記事が。

 

陸上の藤光謙司は4日、ツイッターで「本当にすごい!!すごく勇気をもらいますね 本当におめでとうございます」と祝福。

その上で5日には「努力は必ず報われる。スポーツの世界でもよく聞く言葉だ。そんなニュースを目にすると僕自身も勇気をもらったりする。しかし、勝者=報われるという考えだと大半の人の努力が報われていないことになる。正しい努力とは一体何なのか」とアスリートならではの思いをつづった。

 池江は藤光の投稿をリツイートし「確かに深く考えさせられる言葉ですね…。自分の過去では、努力してた先に『病気』が待ち受けてて、積み重ねてきた“努力”が全て無駄になった気がしました。パリを目標と言っていた心のどこかには東京五輪に行きたいという気持ちも少なからずあって、それを達成できたからこその言葉なのかも知れません」と自身の努力の過程を冷静に分析。

 その上で「どんな人も、努力はしてると思います。ただその努力という定義も難しいな、と思います。本気で目指してきたことをたとえ達成できなかったとしても、その努力は必ず誰かが見てて、誰かが勇気をもらえるのではないでしょうか」と前向きな言葉をつづった。

 

その努力は必ず誰かが見てて、誰かが勇気をもらえる

 

確かにそうなんですよね。

誰かに勇気を与えられる、そんな人になれたら、それはもう金メダル。

勝者ではなくてもたくさんの勇気と感動を貰った人たちが私にもいます。

 

 

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