すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

久しぶりの図書館。「たんぽぽの日々」

 

しばらくの間改装中だった大きな図書館が4月から再開され、早速出かけて行きました。

お目当ての本があるわけではないけど、ちょっと様子伺い。

ぷらぷらとウインドーショッピングさながら棚の本たちを眺めて歩くと、心が落ち着き癒されます。

大げさに言えば自分にとってリハビリ的な要素もある大好きな場所です。

新型コロナウイルス感染拡大以前は(お暇な(当然自分もその一人(^-^;))シニアの方々がたくさんいて、そこかしこで読書をし、新聞を広げ、寛ぎ、休んで(うたた寝して)おられましたが、

皆さん、控えていらっしゃるのか、館内は人がまばらでした。

 

タイトルに惹かれ手に取り、パラパラとめくってみて、何となく面白そうな3冊を借りました。

そのうちの1冊 俵万智の子育て歌集 たんぽぽの日々」

 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

で一躍時の人になった歌人俵万智さんの歌とエッセイ集です。

一人息子さんを育てておられる中で生まれた歌と、それにまつわる息子さんとの日々や母としての思いが綴られていて、

はるか昔にその時代を過ごした母としても、懐かしさや愛おしさで心がほっと温かくなる内容です。

 

息子さんとの散歩中、たんぽぽの綿毛をふうっと吹いて見せてあげるのが楽しみだった万智さん。

初めは何が起きたのかわからない顔だった息子さんが、そのうち自分でもやってみたくなり、ふうふうとかわいい息をかけていたそうです。

そんな息子さんの様子を見ながら、母である万智さんの切ないばかりの祈り。

 

たんぽぽの綿毛を吹いて見せてやるいつかおまえも飛んでゆくから

 

 たんぽぽの綿毛は、たんぽぽの子どもたちだ。地面に根をはっている母親は、こどもたちのこれからを、見とどけてやることはできない。ただ、風に祈るばかり。

 たんぽぽの母さん、せつないだろうなあ――そんなことを春の斜面で思うようになったのも、自分が子どもを持ってからのことだ。そしてまた、「見とどけられない」という点では、実はたんぽぽも自分も同じである。

 いつかは、この子も、この綿毛のように飛んでゆく。そう思いながら吹いていると、それはもうただの遊びではなく、息子と自分の時間が限られたものであることを、切実に感じるひとときとなった。ほら、あの子はもう、あんなに遠く。ほら、この子は、こんなところでひっかかって。

 息子と一緒にいられる時間を、だから私は「たんぽぽの日々」と感じている。綿毛になって飛んでいったらもう、あとはただ、風に祈るばかり。

(「たんぽぽの日々」より)

 

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写真:市橋織江さん

 

私と娘たちとの「たんぽぽの日々」はどうだったろう。

初めての子育てで長女を育てている時は、もちろん慣れないことや不安もいっぱいあったけど、彼女一人に向き合い、逆に一つ一つの出来事を丁寧に味わえたかもしれません。

小さく愛おしい長女の手を引いてお散歩する時の幸せだったこと。

2年後に次女が生まれ、その4年後に三女が生まれ、ひと時もじっとできない目まぐるしい子育ての日々に突入してからは、一日があっという間に暮れて明けて暮れて。

ゆっくりと丁寧に、とはいかなかったなぁ。

それでも三人娘ともみくちゃになりながら過ごした年月は、今となっては幸せに満ちた味わい深い日々でした。

二度と味わうことのできない「たんぽぽの日々」がどれほど貴重だったか、切ない思いで嚙みしめるのです。

我が家の「たんぽぽの子どもたち」も飛んで行きました。

自分の場所で、自分らしく生きていってくれることを風に祈るばかりです。 

 

 

こんな歌も収められていました。

 

叱られて泣いてわめいてふんばってそれでも母に子はしがみつく 


ああ、そうだったなぁと、幼い頃の娘たちを思い浮かべるといじらしくて、目の奥がじわっと熱くなります。

同時にほろ苦い後悔も。

叱られて泣いてそれでもしがみつく我が子をあの時の自分は抱きしめてやれただろうか。

必ずしもそうではなかったな…。

未熟な親で申し訳なかった。 

 

娘に叱られ泣いてわめく孫たちも、やっぱり最後には娘にしがみついています。

子にとって母親は、どんなに叱られようが求めずにはいられない存在なのでしょうね。

 

 

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