すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

お酒のこと、あれこれ

 

昨年作ったスダチ酒、水割りにして夜ごとちびちびやっている。 

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子どもの時に飲んだ梅酒をイメージしていたのに、砂糖が少なかったのかかなり辛口。

なので、スダチ酒に蜂蜜を垂らし甘ーくしている。

美味しくてジュース気分で飲んでしまうが、翌朝はけっこうきてる。軽く二日酔い。

それでも夜になると又、ちびちびやっている。

にしても、弱くなったなぁ。お酒。

近頃は350mlの缶ビールですら全部飲むとすぐ眠くなる始末で、半分が適量かな。

コロナ禍で友人との飲み会が全く無くなったことも影響している気がする。

アルコールを体内に入れる機会が激減し、アルコールに対する耐性が失われつつあるのだろう。

 

大酒飲みの父の遺伝子を受け継いだか、若い頃はよく飲んだ。

酒量は人並みだったと思うが、飲んでも顔が赤くならず、外から見るとちっとも酔っていないふうだったらしく、(大)酒飲みのレッテルを貼られた。

表向きは素面の様でも本人的にはそれなりに酔い、最後は呂律が回らなくなり終了。

それ以上飲むことをしなかったので、周囲に醜態をさらすことはあまり無かったかもしれない。

夫はお酒を飲むとすぐ顔が赤くなるタイプなので、そうならない私に「さすがお義父さんの血を受け継いでいる」と言う。

しかし、酒場で酔っ払い気持ち悪くてトイレで吐き、スッとしたところで又飲むなんてことは出来ないので、結局夫の方がお酒は強いと思っている。

あくまでも夫若かりし頃の話だが。

 

(ここから少々汚い話にもなるので、ご注意くださいまし)

 

周囲に醜態をさらさずに済んだが、二度ほど悪酔いしたことがある。

いや、飲んでいる時はそうと気づかなかったのだが、帰宅し就寝後、夜中に突然吐き気に襲われふらつく頭と体でトイレに直行。

一度目は独身時代。酔っぱらって吐く初めての経験だった。

便座の前にたどり着いた途端、止めようもなくマーライオンが如く噴射。その軌跡がありありと見えて、噴射しながら(おーー)と感動したものだ。

無暗に横に散らばることなく、ホースから出る一本の水の束の様に行儀良く便器の中に収まって行った。

その瞬間気持ち悪さは噓のように消え、夫がしたり顔で言っていたのはこれかと納得したが、翌日は酷い二日酔いで、それも初めての経験だった。

二度目は50歳近くなって。

バドミントン仲間との飲み会で、悪友が面白がって紫蘇焼酎を何度も勧め、私もその度に飲んでいたのが良くなかった。

やはり同じように夜中に突然の吐き気。トイレに籠りあぶら汗を流しながら気持ち悪さと格闘した。

"〇ん〇か〇ん”(〇には同じ文字が入ります)というポップな名前に惹かれ、いい歳して調子に乗ったおのれが悔やまれた。

それ以来、紫蘇焼酎はちょっとトラウマ。口にしていない。

 

 

亡くなった父は無類の酒好きで、夫に言わせると「相当強い」らしいが、酔っぱらって問題を起こすことも度々あった。

周囲と軽く揉めるのは通常の流れで、タクシーの運転手さんと揉めて警察にお世話になったこともあったし、兄に腹を立てて包丁を持ち出そうとしたこともある。

そんな時の父が子どもの頃から本当に嫌で、酒飲みとは絶対結婚しないと思ったし、兄は兄で「自分は絶対酒を飲まない」と断言していた。

結果はそうはならなかったけど。

 

今思うと、父は気の小さな人だった。

必要以上に仕事や人に気を遣い、ストレスも多かったのだろう。

お酒を飲んで発散することが父には必要だったのかもしれない。

だからと言って周囲に迷惑をかけていいことにはならないが、

素面に戻った後、皆に責められ神妙にしていた父の顔を思い出すと、今は少し可哀想にも思うから不思議。

 

晩年、食が細くなってもご飯代わりのアルコールでカロリー摂取し、いたって元気な父だった。

長年のヘビースモーカーがたたり肺は患ったが、あれだけお酒を飲み続けたのに亡くなるまで肝臓には全く問題が無かった。

(逆に義父は一滴もお酒を飲まなかったが、肝臓の癌で亡くなった。)

父にとってアルコールは日々活動する為のガソリンであり、生命体を維持する為の命の水だったようだ。

恐れ入る。

 

 

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2013.5 さいたま市与野公園にて。例年5月に「ばらまつり」があるのですが、コロナの影響で昨年今年と中止になりました。

 

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