すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

今日と、明日という日に、ウクライナの地に、鎮魂を祈って


77年前の今日、3月10日東京大空襲があった日
10万人が犠牲となった

というニュース画面にハッとした。

もちろん東京大空襲のことは知っていた。

でも、忘れていたのだ。


ロシアのウクライナ侵攻のニュースを目にしては
絶望的な無力感に打ちのめされる毎日。

それでも、正直言えば頭の何処かでは
遠い所の現実に
この国とはかけ離れた
この国には起こらない
そんな感覚でいたのかもしれない。


だけど、
77年前の今日
今まさにウクライナの街や人々に降り注ぐ爆弾の嵐と同じ現実が
東京の街に起こっていた。


決して遠くの国の出来事ではない。

何処にでも起こり得る現実。

人間が人間である限り
起こり得る現実。

そのことにハッと胸を突かれたのだった。



慰霊の式典が行われ、遺族の方が手を合わせておられた。

その中の一人、87歳の男性は家族を亡くされた。
77年前、10歳だったその人の、まだ幼い弟や妹も犠牲となったそうだ。

ウクライナの惨劇に「小さい子どもさんが可哀想」と涙ぐんでおられた。

男性の心の傷が如何に深いものであるのか
未だ癒されず、それどころか今また深く傷ついておられる

そんなふうに思えて、お気の毒で、ひどく悲しかった。


何故、人間は何度も愚かな間違いを繰り返すのか。

愚かな間違いの犠牲で傷ついた人の心を癒すのは
その間違いを繰り返さないことなのだと
改めて強く思った。


……………


悪魔の仕業が如く破壊された街

逃げ惑い、無残に命を奪われる人たち

愛する人の亡き骸に慟哭する人を慰める人も
愛する人を喪っていた

命だけは助けたいと我が子を送り出す親の悲痛
家族と離れたった一人で避難の道を歩き続ける幼い子
泣きながら小さな手にチョコレートを持ち

小児病棟空爆とのあまりにも信じ難いニュースは今日の事


こんなことが堂々とまかり通っていいはずがない。


毎朝、目が覚めると枕元のスマホを手に取り、ネットニュースを探す。
少しでも良い進展が起きていないかと。
そしてがっかりする。
その繰り返し。


ロシアとウクライナの外相会談がトルコで行われるそうだ。

期待は薄いが、希望を持ちたい。
希望となる根拠が何一つ無いのが虚しいけれど。


……………


明日、3月11日東日本大震災が起こった日。

あの日の悲しみを繰り返すまいと
多くの人が11年間、それぞれに考え行動してきた。

それは、これからも続くことだろう。

忘れないこと
伝えること

自分には大きなことは出来ないが、その中の一人でありたいと思う。



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穏やかに梅を愛でられる幸せ、有難い以外の何ものでもありません


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