すっとんきょうでゴメンナサイ

風の吹くまま気の向くまま

ひとりが好きなわけじゃない…わけじゃないのよ


先日カラオケに行った際、かなり久しぶりに中島みゆきさんの「ひとり上手」を歌った。

1980年にリリースされた曲。

みゆきさんファンなら当然、そうでなくても当時ヒットしたのでご存じの人も多いのでは。

みゆきさん真骨頂の男女の別れ歌である。


久しぶりに歌いながら、歌詞のとあるフレーズにグッときた。


手紙なんてよしてね
なんどもくり返し泣くから
電話だけで捨ててね
僕もひとりだよとだましてね


屈折した女心。

だけど、そんな女心の悲しくも純な核心を確かに突いていて、切なく沁みる。

哀愁を帯びた、けれどポップな曲調が逆に切なさを増幅させる。


そういえば自分もそんなだったなと、微かに思い出しながら歌った。

強がって突っ張って、好きな人と別れてきた。

どうしてもっと素直に自分をさらけ出せないのかと苦しんだこともあったけど

そう出来ないのが自分なのだから仕方ない、と今は納得する。

屈折することで自分自身を守り保ってきたのかもしれない。


🎤~♪


それ以来、ずっと鼻歌が取れないでいる。


ひとり上手と呼ばないで
心だけ連れてゆかないで
私を置いてゆかないで
ひとりが好きなわけじゃないのよ


母親譲りの鼻歌歌い(という言葉があるかはわからないが)である。

家事をしている時はもちろん、ウォーキングや買い物しながらも、ついついマスクの下で歌っちゃってる。

ジャンルは問わず、古いものから新しいものまで、その時降りてきた歌を口ずさむ。


義母の介護をしている頃もよく歌っていたなぁ。

いろいろ歌ったが、何故か「ひとり上手」にはまった時があり

歌詞というよりも、あの軽妙な旋律にはまり、特にサビは無限ループ状態だった。


以前、記事の中で書いた。


気づくと私も鼻歌歌いになっている。
特に、義母の家では頻繁である。
思うようにならない苛立ちか、嫁に対する腹立ちか、不機嫌であることの多い義母に
初めの頃は「どうしたの?」「どうしたいの?」と心配し続けたが
さして理由は無く、あるのかもしれないが言ってくれるわけでもなく
向き合うことにすっかり疲弊してしまった私。
ある時から必要以上に気にしないようにした。
と言っても気になる・・・。
そんな時に、お茶碗洗いながら歌うのだ。
洗濯しながら歌うのだ。
掃除機かけながら歌っちゃうのである。
すると、なんと気の晴れること。
気にしないでいいことを心の中から追い出せる。



ところで私は

「ひとり~が好きなわけじゃないのよ~~♪」と歌いながら、「ひとり」は嫌いじゃない。

(この歌で歌われている「ひとり」と意味合いは違うが)

「ひとり」でいること、そのこと自体に寂しさや不安を感じることもあまり無い。

更に、「ひとり」でいることを望み、「ひとり」で行動する時間を愉しむ。

「ひとり」でいることが必要な人間だと自覚している。




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