前回の拓郎さんの記事。
いつものことだが、長々と暑苦しく語ってしまった。
しかも、
記事にいただいたコメントにも
恐ろしく長い文面で返信してしまった。
拓郎のことを少し褒めていただいたのが嬉しく
そこで又、拓郎への思いが大爆発したわけだが
自分でも流石にこれはどうなんだと思った。
いったい何……?と驚かれたことだろう。
そもそも記事が長文である。(と、他人事みたいに言う)
以前、簡潔に書くことを心がけるとブログの中で宣言したことがあったが
いつの間にか又、ダラダラと長くなった。
思いが溢れて……
などと言うとちょっとカッコイイが
まとまりなく垂れ流ししているとも言える。
同じようなことを何度も畳み掛けてしまうのは
加齢による“しつこさ”だろうか。
自覚はあるのだが
分かって欲しくて、つい、くどくどと説明してしまうのだ。
(あ…、今もクドイな(;^ω^))
俳句の番組を楽しみに観ている。
説明は不要。情景を淡々と描く。
余計な言葉を省き、適切な言葉を如何に選び取るか。
そうしてたった十七音だけで浮かび上がる世界の瑞々しさに
いつも感心させられる。
伝えようとしてあれもこれも詰め込むのではなく
切り捨てるところはバッサリ切り捨てる。
なんと「粋」なことかと、憧れもする。
そんなふうに文章も潔く清々しく書いてみたいものだ。
……………
文章ほどではないと思うが
話が長い。そしてしつこい。 と娘たちに言われている。
思いが溢れてしまうのだよ( ̄▽ ̄;)
そして、夫も話が長い。
以前、兄が夫のことを「○○くん、よく喋るね~」と感心した(呆れた?^^;)ように言ったことがある。
姪っ子たちも「叔父さんがあんなに喋るなんて思わんかった」と言う。
それを夫に伝えると「え⁉オレ、そんなに喋らないよ!」と、納得いかない顔をした。
逆に私が え?(⊙ˍ⊙) だった。
いやいや、よく喋ってるから。
何かというと揉める夫と私だが、結局のところ、喋りすぎなのかなと思う。
もちろん最初から揉めようと思って喋るわけではなく
楽しいこと、面白いこと、驚いたこと、口から出るままに長々と喋っている中で
つい誤ってお互いの地雷を踏み、結果、揉めるを繰り返している。
いっそ喋らないでいてやれと思うのだが(おそらく夫も)
じりじりとすることに耐えられず、どちらからともなく喋り始めている。
ホント、お喋り夫婦なのだ( ̄_, ̄ )
大学で同じクラスだった夫と私。
当初は話したこともなく
積極的に話しかけようと思うこともなかった。(おそらく夫も)
ある日、図書館だったか、教室だったか
何となく話すきっかけがあり
その時、思いのほか自然に話せることに内心驚いた。
人見知りなので、慣れない人と話すのは緊張するのだが
不思議なくらいリラックスして話せたのだ。
ほとんど話したことも無かったのに、すごく身近な
なんなら家族に近いような会話の波長を感じたことを覚えている。
今や、リラックスする余り、余計なことや無神経なことも喋っているのだろうな(ーー;)
喋りも簡潔に、を心がけよう。